水害被害はある意味で人災である

今回の30年7月の西日本における水害は、多くの地域の方々の人命を奪い、大きな被害をもたらした。亡くなられた方のご冥福を祈ると共に被災された方々にお見舞いを申し上げたい。このような水害が起きる度に思うのであるが、どうしてこんなにも水害が多発するようになったのだろうという漠然とした不思議感である。確かに日本においては過去の歴史でも、幾度となく水害に見舞われた。その度に防災意識の高まりがあり、2度と災害が起きないようにと、避難勧告や指示の徹底及び基準の見直しが行われてきた。しかし、またもやこんな未曽有の被害が起きてしまったのだ。過去の失敗をいつまで繰り返すのであろうか。

このような水害が起きると、こんなにも短期間に豪雨が降るのは、地球温暖化の影響だと言われる。確かに、地球温暖化による影響は大きいであろう。だとしても、これだけ天気予報が正確になり、水害の予測も正確になされているし、治山治水の防災工事も実施されているにも関わらず、これだけの被害を出してしまうというのは、政治の無策ぶりを露呈していると言わざるを得ない。堤防工事や河川改修も進んでいるのに、どうしてあっけなく河川の氾濫が起きるのであろうか。何か、根本的な誤謬があるのではないかと考えるのである。

古来より治山治水を行うのは、時の権力者の責務であった。政治を行うものとして、治山治水の防災対策をしっかりと実施して、人々の安全と財産を守るのは当然のことである。それを怠れば、大変な被害を生み出すし権力者の無力ぶりを世間に示し、権力交代さえ起きてしまうのである。日本という国土は、山が多く川があり、水が豊富なのである。当然、水害は過去にも存在した。それらの水害が起きる度に、二度と起きないようにと対策が講じられてきた。その対策が不十分なのは何故であろうか。

防災対策というのは、その多くが対症療法でしかないように感じる。水害が起きるそもそもの原因を無くす努力をすることなく、付け焼刃のような防災対策で凌いでしまっているように感じて仕方ないのである。川幅を広げたり堤防を強固にしたり工事を進めているし、砂防ダムを設けて土石流を弱めている工事をしている。土砂崩れを防ぐ工事も進めている。しかし、根本的な原因を無くすことはどうなっているのであろうか。どうして、こんなにも過激な豪雨が降るのか、その豪雨がすぐに川の増水につながるのか、さらに土砂が何故こんなにも崩れてしまうのかという根本原因を解決していない。

地球温暖化を防ぐために、炭酸ガスを減少させる努力も必要である。それ以外に、豪雨を防ぐのに役立つのは、緑を増やすことである。それも針葉樹でなくて広葉樹が光合成を活発に行い、二酸化炭素を少なくする。広葉樹がふんだんに茂っている山は、天然のダムになり保水能力が高い。そして豪雨が続くと針葉樹の森は保水が出来なくて、川がすぐに増水するばかりでなく、山崩れを起こしやすい。広葉樹の豊富な森を増やすことで、水害を減らすことになる。土石流の被害も減らすことが可能になるし、土砂が流れにくくなるので川の流れがスムーズになり、溢れにくくなるのである。

広葉樹の森が少なくなっている。日本の森林政策は、杉、檜などの針葉樹を植林する為に、広葉樹を伐採し続けるものだった。大量のパルプを得るために広葉樹を伐採し尽くした。また、スキー場やゴルフ場の造成、無理な宅地造成、不要なスーパー林道や広域農道の造成のために広葉樹を伐採した。このように人工的な造作物を山の斜面を切り崩して作り過ぎたことが、水害と土石流を発生させたとも言える。このような自然の摂理を無視した造成工事が二重の意味で水害被害を起こしたと思われるのである。

縄文時代、豊かな水とそれに伴う自然の恵みを得るために広葉樹を植樹した。勿論、その植林で水害を防ぐことも知っていたと言われている。自分たちの為だけでなく、100年後や500年後の自分たちの子孫が豊かで安全な生活を出来るようにと、豊かな広葉樹の森を作るためにせっせと植林したのである。我々も、縄文人にならって200年後や300年後の子孫たちが、こんな酷い水害に遭わないように、広葉樹の森を作ろうではないか。そして、自然の摂理に反するような無理な造成工事をしないことも心がけたいものである。水害はある意味人災であることを肝に銘じて、LOHASな生き方を志したい。

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