甦る「仁」の心

戊辰戦争後150年の節目に当たる今年は、あちこちで記念事業が開催されている。当地白河市では、「甦る仁の心」というキャッチフレーズを採用して、シンボルマークを制定してPRしている。会津藩と仙台藩の東軍の武士は、戊辰戦争において白河の地で新政府軍と戦った。白河は激戦地となり、多くの東軍と新政府軍の兵士が命を落としている。明治政府側が戊辰戦争後に作り上げた歴史観によって、会津藩と奥州列藩は賊軍という汚名を着せられてしまったが、あの戦争は巧妙にねつ造されたテロ内戦であることは歴史研究家が明らかにしている。正しい歴史観によって戊辰戦争を再評価する動きも加速し、白河市も「甦る仁の心」と命名して先人の偉業を称えている。

白河市内を歩くと、仁と書かれたポスターや幟があちこちで掲げられている。自分の名前の「仁」を見つけるにつけ、何となく恥ずかしくなる。この仁の心というのは、戊辰戦争の時に白河地方の一般市民が取った素晴らしい行動から来ているという。東軍と新政府軍の分け隔てなく、戦死者を丁寧に葬り、その後も慰霊碑を立てて英霊たちを慰めていたという。戊辰戦争における戦死者のうち、長州藩など新政府軍の戦死者だけを祀った靖国神社の全身である東京招魂社とは大違いである。なお、靖国神社には西郷隆盛も祀られていない。白河の人々の、分け隔てのない慈悲深くおもいやりのある行動を称えて、甦る仁の心としたという。

元々、この『仁』という語句は、中国の儒教における孔子や孟子が人間として生きるうえで大切な心だと説いた。人が持つべき仁義礼智信の五徳の中でも、仁が最高位の徳だと主張した。仁とは慈悲の心、または人間愛のことを言う。人間として持つべき思いやりの心を指していると思われる。先年、仁JINというTVドラマが放映され人気を博した。あの人間愛にあふれた医術こそが、現在の医療界には感じられないが故に、高視聴率を得たのではないかとみられる。現代で忘れ去られてしまった仁の心を甦らさせたいと、かのキャッチフレーズになったのかもしれない。

ところで、この仁という字は単なる愛だけを示したのではないらしい。仁とは二人の人間を表していて、人と人の間の豊かな関係性ということを示しているという。つまり愛とは、人と人の間に生じるものであり、単独では存在しないということである。さらに、二人の人間というのは人間の心の中に存在する二面性も表しているとも言われている。つまり、人間の心の中に存する、善と悪、美と醜、正と邪、汚濁と清澄、裏表の関係にあるものを言うらしい。どんな人間にも、マイナスと自己とプラスの自己がある。邪悪な心や醜い心があることを認め受け入れて、その自我にある穢れた心さえも愛さないと、正しくて揺るがない善の心を発揮できないものである。つまり自我を超越した仁愛を発揮できないという意味であろう。

とは言いながら、この仁の心を無理なくあるがままに発揮できる人間がどれだけいることだろう。言い換えると、仮面を被っていて善人ぶった人間は大勢いるが、仁愛にあふれた真の善人はそうはいないということである。善人の仮面を被った悪人は、悪人よりも始末が悪い。自分の中に存在する悪を認めず受け入れていない仮面の善人ほど、社会にとっては邪悪な存在になることが多い。自分を守るために平気で嘘をつくし、人が見ているところでは善人ぶるが、誰も見ていないところでは平気で人を裏切る。忖度をする官僚や、その官僚に平気で嘘をつかせる政治家がそれである。

仁の心を現代に甦らせることは、一筋縄では行かないであろう。何故なら、客観的合理性の教育を受けた現代人は、惻隠の心が育っていないからである。か弱きものや小さきものへの愛を発揮することの大切さを、近代教育では教えてこなかったからである。行き過ぎた競争は、利己的で自己中心的な人間を生み出した。まさしく仁の心を踏みにじるような教育をしてきたのである。このような個別最適の間違った価値観にまみれてしまった人間に、関係性の大切さや全体最適の大切さをいくら説いても受け入れてもらえないだろう。しかし、せっかく「仁」という名前をもらった自分だからこそ、この仁の心を広めて行く使命を担っているのだろうと認識している。険しい道であるが、粛々と歩んで行きたい。

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