神に許されないと登れない山

8度目のエベレスト登頂挑戦で、登山家栗城史多氏は還らぬ人になってしまった。彼の冒険を応援し、登頂成功を楽しみにしていた人も多い筈だ。彼を賞賛する人もいれば、無謀だと非難する人もいる。彼の登山技術のレベルから見ると、成功する確率は極めて低かったとする専門家が多い。一般受けはするが、専門家からは冷ややかな目で見られることが多かったらしい。彼を無茶な挑戦に向かわせて死なせてしまったのは、彼を大々的に取り上げたTV局や支援者ではないかという皮肉な感想が多いのも注目されている。

亡くなった後からそのように非難されるのは、あまりにも栗城氏が可哀想である。どうして彼の無謀な挑戦を止めてあげられる友人がいなかったのだろうか。直接インタビューをして、エベレストの単独無酸素登頂、それも難しい北壁ルートは断念するよう促した登山家もいたらしい。彼は、ルートは変更したものの、敢えて難しい登頂ルートを選択したみたいである。単独登頂という言葉を非常に気にしていたらしく、通常ルートではどうしても既設のロープや梯子を使わなければならず、それだと単独登頂にならなくて、ニュースバリューが低くなったからではないだろうか。

世界で初めてとか、単独無酸素登頂とかいうのは、ニュースになるかどうかという点で、栗城氏にとってはとても価値のあるものであったに違いない。彼は、冒険の共有という言葉を好んで使っていた。チャレンジャーとしての価値を高めるには、非常に困難なことを成し遂げる必要があるし、TVの視聴率を上げるためには何が大事なのかということが、彼の無謀な挑戦を後押ししてしまったように思える。まだこれからという若い命を、マスメディアやTV界、または芸能プロによって奪われてしまったと言っても過言ではあるまい。

世界で初めてエベレストを登頂したのはヒラリー卿だと言われている。無事に戻ってきて、その偉業を証明したのは彼だと言わざるを得ない。もしかすると、G・マロリーが登頂に成功して、その下山途中に遭難したかもしれないとも言われている。夢枕獏が著した『神々の山嶺』にそのエピソードが載っている。彼の所有していたコダックというカメラさえ見つかれば、それが証明できるかもしれない。『そこに山があるから』という著名な言葉を残した山岳家として、つとに有名だ。

しかし、この言葉は間違って伝わっているらしい。彼が2度のエベレスト登頂に失敗して、3度目の挑戦をする前に、ニューヨークタイムズの記者に「どうして、そんなにエベレスト登頂にこだわるのですか」と問われ、「それだからです」と答えたらしい。つまり、エベレストだから、その山に挑戦するんだと答えたのである。日本では、そのやりとりが「そこに山があるからだ」と意訳されたらしい。G・マロリーは三度目の挑戦でも失敗して、帰らぬ人となる。エベレストは神の山であり、神に許された人しか登れないのかもしれない。

単独無酸素でエベレストに登った登山家が、たった一人いる。イタリアのラインホルト・メスナーがその人だ。何故エベレストの無酸素単独登頂を選んだのかと言うと、ひとつは環境保全のためである。山は自然のままにあるべきだという考えをメスナーは持っている。ボルト一本でさえ山に残すべきでないし、ましてや酸素ボンベを山に置き去りにするなんて許せないと思っている。なるべく環境に負荷をかけない登山をするべきだと、敢えて単独無酸素の登頂に挑戦して成功した。彼が単独無酸素の登頂を選んだ理由がもうひとつある。エベレストは神の住む山である。長く滞在することは、神の意志に背くことだと、何よりも素早い登山を心掛けたのである。驚異的とも言えるスピードで登り下った。たった三日間という異常な速さで登山し終えたのである。

8000メートルを超える山の酸素濃度は、平地の3分の1になる。普通の人は、酸素ボンベなしでは行動できない。エベレストが神の領域と呼ばれるのは、この酸素濃度があるからだ。神々しか住めないし、普通の人は酸素なしでは長く留まれない。ラインホルト・メスナーは、8000メートル以上の領域において無酸素では長く生きれないと分かっていたから、敢えて登って下りる時間を極力少なくしようと考えたのである。ボルトを打つ時間も惜しかったに違いない。彼の登山する姿の映像を見たことがある。急坂を走るように登っていた。普段から、とんでもないスピードで登山する訓練をしていた。フリークライミングも驚異的な速度であったという。神に登ることを許されたメスナーは、単独無酸素でのエベレスト登頂をなしとげた。栗城史多氏は、神になり切れなかったのであろう。謹んでご冥福を祈りたい。

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