目標とすべき人物がいない不幸

人間という生きものは、模倣からその成長が始まる。生まれて最初に関わるのは、通常は親である。したがって親の言動を真似て成長して行く。親の後ろ姿を見て育つとはよく言われていることだ。すべてがそうだとは言わないが、親の考え方や生き方が子どもの成長に相当影響を及ぼすのは間違いない。その際に、父親の価値観というのは非常に色濃く反映するものである。しかしながら、父親はあまり子どもと関わる時間が持てず、育児にも積極的でないケースが多い。さらに父親の価値観があまりにも低劣であるが故に、しっかりした人生観が育たずに大人になる若者が増えてきてしまっている。

さらに問題なのが、親以外に模倣すべき人間にも出会えなくなっているという不幸が重なることである。親戚や知人にも、尊敬すべき人間があまりいない。会社や組織に入っても、上司や経営者にも、心から信頼し敬愛すべき人間に出会えなくなっている。まったく居ない訳ではない。昔から比較すると、とても少なくなっているという意味である。そうすると、子どもが親の模倣で育つと同じように、良い成長が見込めないばかりか、低劣な職員になってしまうのである。それなりに仕事は出来るが、主体性・自発性・責任性といったリーダーとして必要な資質が持てない職員になってしまうのである。

人間とは自分にない素晴らしい資質を、身近な人間に感じた時に強く感動して、このような人間になりたいものだと強く思うものである。歴史上の偉人でも良いが、書物を読んで感動するのと実際に接して感動するのでは、まったくそのインパクトは違ってくる。やはり、実在の人物と実際に関わり合ってこそ、その人物の影響を強く受けるものである。ということは、組織や企業内にどれだけそのような人物たり得る人材がいるかどうかが、職員の成長の度合いに影響してくる。そういう尊敬する人物がいなくなっているのである。

例えば、松下電器の松下幸之助、本田技研の本田宗一郎、ソニーの盛田昭夫と井深大、京セラの稲盛和夫というような人物である。彼らは経営手腕も発揮したが、それ以上に貢献したのが人材育成である。彼らに感化された社員たちは、その後大きく成長して会社に貢献する人材となった。このように絶大な信頼と尊敬を集めるような人材が、日本の経済界に輩出しなくなったのである。彼らの素晴らしい点は、その能力もさることながら、その人生を生きるうえでの価値観や哲学である。人の為世の為にどれだけ貢献できるのかが、人間としての価値であるという基本的な哲学観を持っていて、強烈な影響を社員たちに与えていたのである。

現在、このような見本となるような人材が、会社や組織にいなくなったのである。自分の出世や損得だけを考えていて、自分の部下を立派に育てようなんて意識もなくなっている上司ばかりである。手前勝手で自己中で、周りの人々への配慮や思いやりも持てず、自分のことしか考えていない。上司やトップに媚びへつらい、失敗は部下に押し付けて、成功すれば自分の手柄として報告するような低劣な価値観しか持てない上司である。このような会社や組織であるから、部下は上司を尊敬出来ないばかりか、モチベーションもなくなっている。当然、成長も見込めなくなっている。

このように模範とすべき上司がいないのであるから、職員の自己成長が出来ない。会社や組織の発展もなくなり、その存続さえ危うくなっているのである。人材不足というのは、単なる量的不足だけでなく、質的不足はより深刻である。管理者というのは、自分を超えるような人材を育成することを何よりも大切にする価値観を持つべきである。ところが、自分を越えてしまうような人材を、疎ましく思うし排除したがり、嫌がらせやパワハラをする管理者が多い。これでは、優秀な人材は育たない。近代教育における誤謬による弊害が、職員の人材育成にも影響しているのである。

見本とするような人材は、その技術や能力だけではない。それ以上に大切なのは、模範とする人物の価値観や哲学である。勿論、高潔な価値観や哲学を持っている人は、素晴らしい技能も獲得しうるから、素晴らしい人材になっている。企業と組織にとってなくてはならない人材になっている。このような人物しか、優秀な人材を育成することができないのである。会社や組織において、価値観や哲学の研修教育こそが必要である。そうすれば、他の模範となるような人物を育成することが可能となる。企業と組織が発展するには、価値観と哲学の教育しかないと言えよう。

 

※イスキアの郷しらかわでは、企業や行政組織などの職員・管理者に対する価値観と哲学の研修を実施しています。模範となるような優秀な人材育成のためのお手伝いをさせて頂きます。問い合わせフォームからご相談ください。

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