ネットで批判コメントする愚か者

ネット上でアップしたブログに対して、困ったコメントを書く人がいる。先日も、労働に対する価値観について記したら、実に汚い言葉でののしられてしまった。内容からしても、けっして怒るようなことを書いた訳ではないのに、かなり激怒させてしまったみたいで、老害だと批判されてしまった。若い人の労働観はあまりにも自己中で身勝手であり、自分の損得や利害を重視した働き方は、自分自身の人間としての大切な理念を見失ってしまい、挫折してしまう危険があると提言したのだが、それが気に入らなかったようである。

自分の考え方や価値観と違うブログや書き込みを見つけると、ついつい批判をしたがるのは人間の性かもしれない。しかし、ブログというのはあくまでも私的日記である。その人の考えや思いをつれづれに綴るのであって、お金をもらっている訳でもないし、有料で閲覧させている訳ではない。読者に対して教訓を垂れている気持ちもないし、自分の考えを押し付けているのでもない。自分の考えや思いはこうなのだと、ひとつの提案として述べているだけなのである。

それなのに、自分の考えに合わないからと、攻撃してくる輩がいるのだ。もし、自分の考え方と違うならば、自分自身のSNSでブログやツィートすればよいのであって、他人のブログにコメントを残すのは、完全なネットマナー違反である。例えば、明らかなコンプライアンス違反や犯罪行為になることを書いていて、読者や社会に悪い影響を与える危険性があるというならば、注意を喚起するコメントを載せるのも許される。しかし、明らかに間違っていることを書いてあるにしても、他人を傷つけたり社会に悪影響を与えたりしなければ、スルーするのが大人の対応というものだ。

ネットの世界で、どうしてこんなにも批判的かつ攻撃的な人間が多いかと言うと、自己の確立をしていない人間が増えているからであろう。自分の悪いことや恥ずかしいことも含めてすべてを認め受け容れることが出来たなら、真の自己肯定感を持てる。しかし、中途半端な自己肯定感があるため、自分と違う他人のことが許せずについつい批判し攻撃するのだ。根底には、大きな自己否定感が存在し、マイナスの自己を認めたがらず、他人のマイナスの自己を許せないのである。つまり、多様性を受け容れられないのである。

学校や職場でいじめやパワハラが横行しているのは、同じく多様性を認めることが出来ないからである。人間は違っていて当たり前である。姿と形も違うし、感情の表し方も異なるし、考え方や価値観もその人特有のものであり、違いがあるのは当然である。このような多様性があるからこそ、人間は進化してきたのだし、社会の発展が実現したのである。この多様性を認めず、自分の考え方や生き方だけが正しいと思うのは、傲慢であろう。自分が正しく、他人の考えや生き方の価値を認めないというのは、人間としての謙虚さや柔軟性を喪失して、自己成長を阻害してしまう。

自分の価値観、それも劣悪で低い価値観に捉われてしまうと、そこから抜け出すのが難しい。だから、自分の認知や考え方と違う意見や提言に接すると、謙虚に受容出来ないし寛容になれない。正しく高い価値観を持つ人は、他人の違いを受け容れられるし許せる。学校や職場においていじめやパワハラをするような人は、間違いなく正しく高邁な価値観や哲学を持たない人である。こういう人がネット上でキレたようなコメントで、他人を批判するのである。しかも、自分の誤謬に気付かないから、いつまでもこんな愚かな行動を続けて、他人を傷付けるのである。

ネットで批判され攻撃された善良な人は、あまりにも怖い批判コメントなので、怖くなってしまいブログをアップできなくなることが多い。自分のブログが炎上してしまうのではないかと、恐怖心で身がすくむ。そんな怖れは無用である。そんな批判コメントは受け付けなければ良いのである。承認制にして、リコメせずに即削除することである。こんなマナー違反の人間のコメントは無視するに限る。丁寧に反論するのは、無駄なのである。劣悪なメンタルモデルに支配された人間は、他人の意見に耳を貸さないから、反論しても、一切聞き入れない。時間が浪費されるだけだと心得よう。とんでもない批判コメントがない、共感のネット社会にしたいものである。

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