命よりも大切なもの

財務省の決裁文書改ざん問題で、国会が揉めている。こんな低レベルのことを、世界に誇る日本の優秀な官僚が実際に行ったという事が驚きであるが、一人の官僚が自殺してしまったという痛ましい事件に発展していることが注目される。このような官僚を巻き込んだ事件が起きると、一番弱い立場にある下働きの行政職員が犠牲になることが多い。民間人であっても、贈収賄・汚職事件で自殺してしまうケースも多々ある。何よりも尊い命を絶ってまでも、守るべき存在なんてあるのだろうか。

巨悪に立ち向かうことが優先すべきだということは理解するが、一人の生命がないがしろにされてしまっているのに、その責任を追及しないマスメディアの姿勢も問題であろう。過去にも汚職事件などで、誰かを守るために犠牲になった方々がいて、追い込んでしまった責任を誰が取ったであろうか。守ってもらった人が、自分を守る必要はないよと言ってあげたりすれば、命は守られたであろう。亡くなった方の名誉を守るため、自分が悪かったと贖罪した人物はいなかったように記憶している。

今回の財務省の文書改ざん事件で自殺された方の名誉を回復させてあげたいと、自分が指示したことだと誰も言わないのは不思議であり、とても残念である。命は何よりも尊厳されるべきだということは理解している筈なのに、財務省官僚や政治家たちは口をつぐんでいる。命を軽視しているとしか思えない。亡くなった方の家族は、いたたまれないことであろう。この日本という国のかじ取りと航海を仕切っている政治家と官僚は、命よりも大切なものがあると思い込んでいるのかもしれない。

命よりも大切なものとは何であろうか。たぶん、日本を牛耳っている政治家とキャリア官僚たちは、国全体の利益とか国体の維持と考えている節がある。全体の利益ためには、個別の利益がある程度制限されることがあり得るのは理解している。しかし、人命までも奪ってまで守る利益なんて、本当にあるのだろうか。太平洋戦争時、特攻隊は国のために自分の命を犠牲にした。あの時に特攻隊を指示した高級軍人たちは、危険な戦場には出ることなく、のうのうと生き残った。あの当時の考え方が、今でも残っているとしたら、実に情けないし許せないと思うのは私だけではあるまい。

命よりも大切なものがある筈がない。人間としての尊厳、名誉、哲学、生き方を守る為に、自分の命を犠牲にしてでも守らなければならないという人がいるかもしれない。それは完全な間違いだという事を、親たちは子どもたちに教えてきただろうか。学校においても、命の大切さを教える教育はしていると思うが、子どもたちの心に響く言葉で教師たちは伝えてきたであろうか。どうも、このような命を尊ぶ教育が不十分だったのではなかったと思えて仕方ない。だから、汚職事件の犠牲者だけでなく、日本では自殺者が多いのではなかろうか。

命よりも価値があると言い張る人間がいる。それは、自分の命が脅かされることがない人間が言っているケースが多い。自分で命を絶つしかないと思う立場に追い込まれてしまったことがない人であり、テロや紛争が日常的に起きている地域に住んだことがない人であろう。自分の命が危機的な状況に追い込まれて、明日の命が解らないというような日々を過ごした経験があれば、絶対に命を軽視するような発言はしないものである。命よりも大事なものなんてないと、言い切ることであろう。

何故、そう言えるかというと、人間は生きていることでしか成し遂げられないことがあることを実感しているからである。死んでしまったら、家族、会社、地域、国家というコミュニティに対して貢献できないのである。どんな状況にあったとしても、人間は存在そのものが社会貢献をしているのである。死んで貢献することがあるという人もいるが、それは詭弁である。守護霊になって、家族を守るという人がいるかもしれないが、絶対にそんなことはない。自殺者が他の人たちに影響を与えて、後追い自殺をする人が多数いるのを見れば明らかである。命よりも大切なものなんて存在しない。だから、どんなに追い込まれても、自殺は絶対にしてはならないのである。生きていれば、今抱えている問題は必ず解決できるし、多くの人々の幸福や豊かさに貢献できるのである。

 

※学校や職場、または家族のことで悩んでいて、死んでしまいたいと思っている方がいらしたら、まずはイスキアの郷しらかわにご相談ください。匿名でもいいですし、事情などを詳しく問いただしたりすることはありません。言いたいことだけをおっしゃってください。問い合わせのメールだけのやりとりでもいいですし、個人アドレスでなくてもいいですから、まずはご連絡ください。問い合わせフォームからお願いします。

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