恩返しと呼ばれる出藍の誉れ

あの天才と呼ばれる藤井六段が、師匠の杉本七段に勝利したニュースが流れている。将棋界では、師匠と公式戦で対戦して勝利することを『恩返し』と呼ぶらしい。藤井六段の活躍も素晴らしいが、杉本七段の態度も立派であると賞賛されている。師よりも弟子が優れることを、出藍の誉れと呼ぶ。『青は藍よりとりて藍よりも青く、氷は水よりつくりて水よりも冷たし』と荀子が弟子に諭す際に言った言葉らしい。杉本七段は出藍の誉れを実践したのだから、師匠として素晴らしい足跡を残したと言えるだろう。

学校の教育現場で、杉本七段のような先生ばかりであったなら、不適切指導なんてことは起きる筈がない。ところが、出藍の誉れという精神を限りなく発揮して、子どもたちを育成している教師がどれほど居るだろうかと疑ってしまうような出来事が起き続けている。どちらかというと、自分たちの保身や評価を気にして、子どもたちを犠牲にしている先生が多いのではないだろうか。指導死なんて不幸な事件が起きるということが信じられないことであるが、教師による言葉の暴力だけでなく体罰もなくならない学校現場が実在する。

スポーツ界でも、出藍の誉れが起きているケースもあるが、逆の例も少なくない。例えば、相撲界である。関取が付き人に対して暴力を奮う行為が起きているし、師匠である親方が弟子に対していじめのような行為をしているのも事実である。相撲界というのは、絶対的な縦社会であることから、権力を持つ者が持たない者に対して暴力や暴言を奮うのが日常茶飯事になっているのであろう。出藍の誉れという精神が発揮されているとは思えないような社会らしい。

出藍の誉れという精神がまったく発揮されなくなってしまったのは、企業内における上司と部下の関係であろう。国や県、市町村の行政現場でも出藍の誉れが起きにくい職場になってしまっている。職場というのは、上司が部下を指導教育する場でもある。仕事を問題なく遂行するためには、部下を一人前にする為に教え育てなければならない。優秀な部下を育てることは、上司の大事な務めである。ところが、部下をある程度のレベルまでは育てられる上司がいるものの、自分を遥かに凌駕するような部下を育てられる上司は皆無に近い。何故、そんなことになっているのだろうか。

企業内における競争意識は、非常に高い。若者たちに出世欲はあまりないと言われているが、中年を過ぎた頃から出世競争に否が応でもさらされてしまう。会社に勤務しているなら、少なくても役員にはなりたいと思う人が多いことであろう。しかし、役員にまで昇進する人はごく少数の選ばれた社員たちである。当然、業績を残そうと必死になる。同僚たちは競争相手だし、下手すると部下が自分を飛び越えて上司になるかもしれない、弱肉強食の社会である。自分で苦労して仕入れた情報や大切なノウハウをすべて部下にすべて教えてしまったら、自分を乗り越えてしまい、自分が取り残されてしまう恐れがある。出藍の誉れと呼ばれるような、自分よりも優れた部下を育成することを無意識で避けてしまうのは当然であろう。

企業内や行政の職場において、行き過ぎた競争意識が大きいが故に出藍の誉れが起きず、上司を凌駕するような部下が出現しなかったらどうなるか。年々、社員や職員は能力のレベル低下が起きてしまい、企業業績も低下し続けることになる。企業の生産性の低下が問題になっているが、これもひとつの要因であろう。企業の存続にも影響する大問題なのである。競争主義を導入すると、企業内におけるノウハウや情報の共有が阻害されるだけでなく、優秀な社員の育成が出来なくなり企業業績が低迷するのである。富士通やシャープ、東芝のケースを見れば良く理解できるであろう。

企業内における評価にも問題がある。上司やリーダーの評価基準として、本来は自分よりも優秀な部下を育成したことを何よりも高く評価するべきである。残念ながら、このような評価基準を一番大切なものとして設定している企業や行政の職場は皆無である。経営者たる者、出藍の誉れの精神を最大の企業文化として取り入れるべきである。そして、全体最適の価値観を共有して、個別最適を恥じるような企業文化を醸成すべきと考える。そうすれば、出藍の誉れの精神をいかんなく発揮できる職場になるに違いない。これが、企業を永遠に発展継続させる秘訣である。

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