神様が与えてくれた時間(小平奈緒選手)

「奈緒の人生は神様が与えてくれた時間。悔いのないように生きろ」と父親が、メールで送ってくれた言葉に支えられたと、スビートスケート金メダルの小平奈緒さんはインタビューに答えていた。彼女は当時、オランダにスポーツ留学をしていた。自分の選択が正しかったのか、こんな苦労をして結果が出るのか、無駄にならないだろうか、様々な迷いがあったことであろう。そんな時に、父親から届いたメールが一通。それがこの『神様から与えられた時間』というメッセージであった。

このメッセージがどれほど小平選手の心の支えになったか計り知れない。どうして、このメッセージが小平選手の心に響いたのであろうか。それは、親子の関係にその秘密がある。彼女の親子関係がそれまで良くなかったか悪かったのかは、まったく関係ない。世の中の殆どの親子に共通する関係性が、その基本にあったのではないかと想像している。どんな親でも、我が子を愛しく思うし、成功して幸福になってほしいと思うものである。それ故に、子どもに多くを期待するし、子どもの成功を願う故についつい干渉してしまうものである。

こうなって欲しい、ああなって欲しいと、こうすればいいよああすればいいよと口出しをしてしまうものである。確かに乳幼児期から小学生低学年くらいまでは、安全を確保する為に必要な事である。としても、必要最低限の助言だけにして、なるべく本人が考えて行動するのをじっと見守るべきである。そうしないと、本人の主体性が育たないからである。ところが世の中の親たちは、思春期になっても子どもを自分の所有物だと思い込み、子どもを支配し制御したがるものである。だから、口に出してこそ言わないかもしれないが、子どもが自分の願う人生の選択肢を選ばないと、不機嫌な態度をしたり無視したりする傾向がある。

親という字は、立木の上に登り見るという意味である。つまり、子どもをそっと見守る、または寄り添うのが親である。子どもに対してけっして干渉し過ぎるべきでない。ましてや、自分の所有物として誤認したり、子どもを支配しコントロールしたりするようなことをすれば、子どもの正常な発達と自立を阻害しかねない。子どもが不登校やひきこもり、家庭内暴力、学校でのいじめ行為などの問題行動をする子どもの親は、このような傾向にあることが多い。

子どもの人生は親のものではない。子どもの人生は、子どものものであり、子ども自身がどう生きるのかを選び、その結果責任も子どもが持つのである。つまり、親は言いたくても子どもの生き方に口出しをすべきではないのである。勿論、いろんな助言をしたり危険を回避したりするためのアドバイスは必要である。しかしながら、どんな高校・大学を選ぶのか、どんな所に就職するのか、どんな人と結婚するのかに対して、親は干渉してはならない。ただし、生きる上で大切な価値観や哲学は、しっかりと持てるように教育する必要がある。

子どもは親が大好きである。だから、どうしても親が望むような生き方をして、親を喜ばせたいと思うものである。親の無言の支配が無意識のうちに起きてしまうものである。親は自分の願うようなことを、子どもがすると喜ぶ姿を見せてしまうのである。それはある意味仕方ない行動である。だとしても、子どもとの良好なコミュニケーションを取り合い、親は子どもの生き方に対して基本的には干渉しないしコントロールすることは絶対にしないよと宣言し、安心させることが必要なのである。それがあの、『神様が与えてくれた時間』という言葉がけなのである。

小平奈緒選手のこの言葉を聞いて、私は一緒にTVを見ていたwifeに向かって、「お前も、神様が与えてくれた時間だから自由に使っていいんだよ」と伝えた。そうすると、「既にそう思っていて自由に使わせてもらっているから大丈夫、ありがとう」と答えた。仕事をしているwifeが家事育児だけに時間を取られないようにと、かなり配慮してきたつもりである。そして、wifeのやりたい趣味や娯楽、そして旅行は一切拒否せず認めてきた。子どもに対しても基本的に同じ行動をしてきたと思う。人間は基本的に自由でありたいし、主体性や自発性を発揮して、結果責任は自分で取りたいものである。家族に対しても、職場における部下に対しても、『神様が与えてくれた時間だよ』と温かく声掛けができる社会にしていきたいものである。

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