量子力学的生き方をする

最近、量子力学的な生き方というのが注目を浴びているらしい。量子力学というと、物理学の最先端の科学である。それが何ゆえに生き方などという哲学になりえるのか、不思議に思う人も多いことであろう。本来、科学と哲学は相容れないものとして考えられている。科学と言うのは実証論であり、哲学は観念論だからだ。あくまでも、科学的な検証に基づいて現象を分析解明していくのが科学であり、論理的な手法によってあくまでも観念として構築されるのが哲学という考え方であろう。だから、科学者はおしなべて哲学には疎いということが言われてきたのである。

ところが、最近の科学者、とりわけ理論物理学者の間では、哲学が科学的にも正しいのではないかという考え方が支配的になってきているのである。特に量子力学を研究している科学者は、研究すればするほど哲学的な観念が科学的にも実証されつつあることに驚いているらしい。ノーベル賞を取るような欧米の最先端の物理学者は、特に仏教哲学に傾倒していると言われている。日本でも、科学と哲学を統合した『科学哲学』を研究テーマにしている科学者が出てきている。これらの研究は、日本ではまだまだ進んではいないものの、これからは間違いなく進むものと期待されている。

それでは、どうして量子力学の研究者は哲学、それも仏教哲学に注目しているのであろうか。量子力学とは、原子レベルにおける素粒子の研究をしている。物体の成り立ちや宇宙の成立を素粒子レベルで明らかにする研究をしている。宇宙における生命体も含めた物体は素粒子で出来ているのであるが、その素粒子のうち質量を持ち実体として存在しているのはほんの僅かしかなくて、99.99%以上は実体がないと言われている。この世の中に存在するすべての物体は、実体がないということが量子力学で解明されて、仏教哲学で主張しているこの世は『空』であるとする理論と同じなのである。

しかも、量子力学においては光というのは素粒子でもあり波というエネルギーだと判明しているが、二重スリット実験において人が見ているとその波動が変化するということが解ったのである。つまり、仏教哲学において、人間の意識によって実体があると思えばあり、ないと思えばないという理論が、量子力学によって証明されたのである。さらに、素粒子は関係性によって実体が存在するということも判明したが、仏教哲学では縁起律というもので明らかにしている。こんなにも量子力学と仏教哲学がリンクしているとは、実に不思議な事であるが、般若心経は量子力学的に見ても、科学的に真実だという事が解ったのである。

量子力学においては、我々の意識によってこの社会がどのようにも変容するのだから、喜びも苦しみもすべて自分の意識が引き起こしているということになる。だからこそ、我々の意識を清浄なるものにして、しかも全体の平和や豊かさを希求する意識に高めていかなければならないのである。自分や家族だけの豊かさや幸福を願うのでなく、量子力学に基づいた人類全体の最適化を目指す生き方が必要なのであろう。ノーベル賞を受賞した熱力学の権威イリヤ・プリゴジンは、宇宙の成り立ちや物体の生成と存在において、自己組織化という法則が存在していると説いている。自己組織化という概念は、全体最適化という考え方に近いと言ってもいいだろう。

最先端の医学研究によって、我々の人体もまた自己組織化の法則、つまりは全体最適のシステムによって保たれているということが解明された。そうすると、人体そのものが全体最適のシステムによって維持されているのだから、人間もまた社会で生きていくうえで、全体最適のシステムで行動すべきだということである。全体最適の生き方をしないと、大きなゆらぎが発生し、人体そのものが不健康に向かってしまうし、社会全体も不健康な存在になってしまうということである。平和が保たれず、争い事やテロ・戦争に満ちた世界になるということであろう。

だからこそ、我々人間は常に全体最適の量子力学的な生き方が求められると言っても過言ではない。量子力学においては、豊かな関係性があってこそ世界は成立しているし、我々の意識によってこの社会がどのようにも変化しているということを示している。とすれば、自分だけの豊かさや幸福を求める、言わば量子力学に反する個別最適の生き方こそが、この社会を駄目にしていると言えよう。大国のT大統領や原理主義に凝り固まったK指導者のように、自国の利益だけを追求するような考え方は、いずれ破たんを迎えるということになる。今こそ、量子力学の生き方である全体最適と関係性重視の価値観に添って生きようではないか。

 

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