旭日昇天よりも雲外蒼天

NHKTVで放映された「澪つくし」という時代劇で、旭日昇天と雲外蒼天という言葉が出てきた。これまで聞いたことがなかったこともあり、非常に興味を抱いた。ドラマの中では、こんな意味として使われていた。主人公が幼少の頃、ある人相見の達人に、その女の子と幼友達がこんなことを言われる。幼友達は、成人したら大成功を収める相を持つ人相をしている。これは、滅多にない旭日昇天(ちょくじつしょうてん)の相だと言うのである。朝日が天に昇るがごとく、何の障害なく順調に天下に誇るような人物になるというのである。

一方、主人公の女の子は雲外蒼天(うんがいそうてん)の相があると言われる。この相を持つ人物は、雲の隙間から青い天が望むがごとく、様々な苦難困難に出遭うものの、それらの障害を乗り切り成功を収めることが出来ると言われるのである。実際には、幼馴染は廓(くるわ)に売られるのであるが、持って生まれた器量でめきめき出世して、押しも押されもせぬ当代一の花魁(おいらん)になるのである。主人公は、何度もひどい目に遭いながらもその度に乗り越えて、江戸で有数の料理人として大成するのである。

この人相を見る達人は、確かに人相を見る目はあったということになる。ただし、幸福度という点ではどうだろうか。主人公は何度も苦難困難に出遭う度に、一回りも二回りも成長したのである。そして、苦労の末にようやく掴んだ成功であるから、喜びは人一倍である。何にも苦労せず、持ち前の美貌だけで吉原随一の花魁になったのでは、幸福感はそんなに多くはないだろう。幸福感という点では、苦労をしてきた主人公のほうに分があると言えよう。

実際の世界においては、旭日昇天の人物はそんなに多くない筈である。多くの我々凡人は、雲外蒼天であろう。そして、様々な苦難困難を経験する。それらの苦難困難に逃げずに立ち向かい、そして乗り越えて「艱難汝を玉にす」の諺のように、人間としての立派な成長が可能になるのである。この社会で大成した人間、または人間として立派な人は、苦労をした人である。親の七光りでたいして苦労もせず成長した人間のなんと薄っぺらな事であるか。または、恵まれた境遇に生まれて、たいした苦労もせずに一流大学を出て高級官僚になった人物は、自分でも苦労したことないから、人の苦労にもそ知らぬ顔をする。

人間として大成する二つのプロセスがあるとすれば、望んで出来るのならば間違いなく旭日昇天ではなくて雲外蒼天の生き方をしたほうが良いと思われる。今度NHKTVの大河ドラマで描かれる西郷隆盛は、間違いなく雲外蒼天であろう。下級武士の家系に生まれながら、何度も挫折をしながらも乗り越えて、後に南洲翁と呼ばれるように誰からも尊敬される大人物となる。苦難困難に見舞われなければ、同じような地位に就いたとしても、あのような素晴らしい人間性を持てたかどうかは解らない。

西郷隆盛は後に南洲翁と呼ばれ、南洲翁遺訓と呼ばれる書物に彼の残した言葉が残っている。彼は、苦労して作り上げた明治政府の要職を自ら捨てて、野に下る。時の明治天皇が一番信頼し頼りにしていたのは、西郷隆盛であった。しかし、あまりにも腐敗して私利私欲に走る明治政府の政治家たちに愛想を尽かしたのではないだろうか。山形有朋や伊藤博文などの長州出身の政治家たちは、私腹を肥やし、妾を政府の要職につけるような出鱈目な政治をしていた。南洲翁遺訓では、『ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された』と記されている。

また、南洲翁遺訓では弱者に対する思いやりを説いていて、自分を愛するように他人を愛するような政治をすることが肝要であるとも説いている。小さな政府にして、税金を少なくすることで国力を上げることが出来るとも主張している。無駄な軍備を持つなとも説いている。現代の政治家は真逆である。このように自分を厳しく律し、常に国民の福祉や幸福のことを考えた西郷隆盛は、理想の政治家でもあった。現在の二世議員である政治家たちは、おそらく旭日昇天の育ち方をしたのであるまいか。西郷隆盛が傑出した政治家として大成したのは、雲外蒼天の育ち方をしたからに違いない。今度から選挙で政治家を選ぶときには、旭日昇天の政治家ではなくて雲外蒼天の政治家を選びたい。

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