一緒にいると癒される人

この人と一緒にいると何故かほっとする、というような人と出会ったことがあるだろうか。たぶん、そんな人と何度か出会ったことがある筈である。しかし、こういう人は世の中において圧倒的に少数である。出会う殆どの人は、一緒にいると疲れる人だからだ。一緒にいるとほっとして、何となく癒されるという人に出会ってみたいし、こんな人と一緒に暮らせたら、どれほど幸福なんだろうと思ったことだろう。または、癒しを与えてくれるような人と少しの時間だけでも共有したいし、こんな人にカウンセリングを受けたいと思うであろう。

今一緒に暮らしている伴侶も、結婚する前の時代には一緒にいると癒されると思った時期もあったと思われる。それなのに、結婚して何か月か経つと、一緒にいると疲れるようになるのである。実に不思議な事であるが、結婚する前後の蜜月の時期には、あれほど幸福な気分だったのに、いつの間にか一緒にいると疲れる相手になってしまうのである。恋人でも同じケースがありうる。最初は寛容で癒しを提供してくれたのに、何年も付き合うと徐々に疲れを感じるのである。あの一緒にいると癒される人は、どこに行ってしまったのであろうか。

どうして、伴侶も含めて一緒にいると疲れる人になってしまうのか、逆に何十年経っても疲れる人にならないのは、その原因について考えてみたい。そして、一緒にいると癒される人とはどういう人なのかを明らかにしたい。まず、パートナーが一緒にいると疲れる人になってしまう訳というのは、結婚すると相手を支配しコントロールしようとするからである。自分にとって都合のよい理想の相手になってもらいたいと、あたかも自分の所有者のように相手を支配し始める。そして、あらゆるコミュニケーションの手法を駆使して、相手を自分の思い通りに制御し始めるのだ。

人間は、本来自由でありたいし、自分の思い通りに生きたいものである。それが、いくらパートナーであっても、相手の思い通りにコントロールされるのは嫌なのである。そうすると、いつも支配され制御される言動に振り回されると、精神が疲れてしまうのである。たいていの人間は、利害関係がある相手に対しては、自分の価値観や人生観を知らず知らずのうちに押し付けてしまうものである。まったく利害関係がなくても、無意識のうちに相手を自分の話のペースに巻き込んで、自分の気持ちを解ってほしいと思うものである。こういう人と一緒にいると、疲れてしまうのであろう。

とこが、長い時間に渡り話をしても疲れるどころか、逆に元気になり癒してくれる人がいる。こういう人は、自分に共感してくれるし、自分を認めてくれる。しかも、自分を否定せずまるごと受け入れてくれるのである。自分の悪い点や嫌な部分も含めて、許してくれるのである。つまり、寛容性と受容性がひと際高い人なのである。このように一緒にいると、癒してくれる人というのは、言ってみれば許容力と包容力の高い人であり、真の自己確立をしている人でもある。だから、出会う相手の尊厳を認めてくれる人なのである。

このように出会う相手を癒してくれるという人は、自己マスタリーを確立した人である。自分の心の中に存在する嫌な部分やみっともない部分があることを、目を背けずにまるごと受け入れて、そういうマイナスの自己も含めてすべての自分を認め受け容れている人である。マイナスの自己も含めた自分をまるごとありのまま愛せる人でもあるのだ。だからこそ、相手のマイナスの自己も含めてすべてを受け容れて愛せるのである。したがって、寛容性と受容性をどんな人に対しても発揮できるのである。こういう人と出会うと、何故かほっとするし癒されるのである。

残念ながら、このように自己マスタリーを完了した人間は極めて少ない。今でも敬愛して止まない森のイスキアを主催していた佐藤初女さんは、自己マスタリーをしていたからこそ多くの人々を癒していらした。児童精神科医の崎尾英子先生も、同じようにカウンセリングで多くの相談者を癒していらした。残念ながら、このお二人は既に鬼籍に入られてしまった。このお二人をわが師としてリスペクトし、イスキアの郷しらかわの利用者に接して行きたいと思う。相手をけっして否定せず、支配せず、制御せず、あるがままにまるごと受け止めたい。これ以上ないという癒しを『イスキアの郷しらかわ』で提供し続けることを誓う。

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