新しい子どもたち~不登校児が社会を変える~

不登校の子どもたちは、学校生活に馴染めない子ども、または学校に不適応の子どもたちだという認識の人が多いに違いない。つまり、学校に行く子どもが正常であり、行けない子どもはイレギュラーだという考え方が支配的だということだ。本当にそうなのであろうか。不登校の子どもというのは学校における落ちこぼれだということを表だって言う人は少ない。しかし、教育関係者の殆どがそう思っているのではないかと推測できる。でも、これが間違っているとしたらどうだろうか。

不登校になるきっかけは、学校における子どもどうしのいじめ、教師による不適切な指導、部活などにおける人間関係悪化や不振、成績不振や学業の不適応等様々である。そして、不登校になるのは、心の優しい子どもたちが多い。つまり、どちらかというと繊細な気持の子どもであろう。心が強ければ学校に行けるのに、行けないというのは弱い心を持つからだと、教師の保護者も思ってしまうことが多い。そして、学校に無理しても行かなくてもいいと思い込んでしまう保護者が多い状況にある。

不登校や引きこもりの原因を子育ての失敗や本人気質・性格、またはメンタルの障害だと思い込んでしまっている人は多いであろう。精神医療に携わる医師やカウンセラーでさえも、そんなふうに認識している人は少なくない。だから、日本の社会では不登校・引きこもりが少なくならないし、増加しているのである。そんなとんでもない偏見に対して、実際に不登校や引きこもりを支援している方たちは、違和感を覚えている。どこがどのように違うのかということは明らかに出来ないものの、何となく子どもたちに原因があるのではなく、不登校・引きこもりの本当の原因は他にあるのではないかと感じている。

不登校を引き起こすのは、学校や社会の在り方が本来の理想と違っていて、間違った方向に進んでいるからではないかと見ている児童精神科医がいる。それも、今から20年以上も前から、社会に対して警告を発している。その代表的な精神科医は、崎尾英子先生である。また、児童精神科医で人格障害の権威として著名な岡田尊司先生である。崎尾先生は国立小児病院の医長をされていて、NHKラジオの不登校の保護者相談をされていた。ベイトソンとギリガンの研究では第一人者で「愛という勇気」という大作の翻訳もされている。残念ながら、鬼籍に入られてしまったと聞いている。岡田尊司先生は、あまりにも有名なので説明は不要であろう。

今の世の中は、非常に生きづらい。学校という環境も過ごしづらいし、職場に居場所がないと思っている人は少なくない。そして、地域や社会でも生きづらいし、家庭の中にも安心して生きられる場所がないのである。それは何故かというと、人間本来の生き方に反した社会であるからだと、崎尾先生や岡田先生は喝破されている。人間とは、本来はお互いに尊敬しあい、そして支え合って生きものである。過剰に競い合ったり、相手を蹴落としたりして、自分だけの利益や地位・名誉を求めるような社会であってはならない。ところが、学校、職場、地域社会は、身勝手で自己中心的な人間ばかりである。自分さえ良ければと思い、他人に対して思いやりや慈愛を注ぐことをしない世の中なのである。

不登校や引きこもりに陥っている子どもや若者は、そんな世の中に違和感を覚えているし、そんな環境に自分の身を置きたくないと思うのは当然だろう。不登校や引きこもりの人は、『新しい子どもたち』だと崎尾英子先生は考えていたと思われる。つまり、現代の生き方の誤謬に気付いて、人間本来の生き方を人々に考え直すきっかけを与えてくれているのではないかと考えたのである。不登校や引きこもりという現象は、特異なものではなく、起こるべくして起きたものであると考えていらしたと思われる。不登校という子どもたちが、我々大人に自分たちの間違いに気付けと警告を発してくれている主張されていた。

不登校や引きこもりを完全に解決するには、社会全体の価値観、または生きるうえで必要な思想・哲学を正しくするしかない。自己最適だけを目指し、関係性をないがしろにしてしまうような考え方と生き方は間違っている。社会の全体最適(全体幸福)を目指す生き方を誰もが志し、お互いの関係性を豊かにすることを常に志向する生き方を目指すべきである。地域、職場、学校、家庭も間違った価値観で進んでいるから、不登校や引きこもりという形で我々に間違いに気付いてほしいという悲痛な叫びをあげていると見るべきなのである。この『新しい子どもたち』に寄り添い、否定せずに耳を傾けて、望ましい社会に変えていく使命が我々にあるのだ。

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