心はどこにある?

心は人間の身体のどこにあるのか?と問われて即座に答える人が圧倒的に多い部位は、左胸の部分であろう。心臓の部分を指して、心はここにあると答えるのは昔からのならいである。科学的な考察によると心臓には心がないということが解り、脳が感情や思考を作っているということが判明してからは、さすがに心は心臓の部分にあると示す人は少なくなった。しかし、そういう科学的なことが判明してもなお、心は胸にあると示す人が少なくないのも不思議なことである。

さて、それでは心は脳にあるのだろうか。先ほど述べたように、思考、記憶、感情、本能は脳に由来するのは間違いなさそうである。とすれば、心は脳にあるとするのが正しいのであろうか。江戸時代以前には、心は丹田(臍の下部分)にあるという漢方医が多くいたようである。解剖学的に観てそのように主張していた訳ではなく、経験的に丹田に心があるに違いないと思っていたようである。漢方では、丹田の働きを重要視していた。心の在り場所は、胸、丹田、脳の三か所のうちどれかひとつであるのだろうか。

心の在り場所が胸と丹田であると言われてきたが、近代以降は科学的にあり得ないと思われてきた。けれども、最先端の科学的に観てもあながち間違いではないことが解明されてきた。つまり、丹田である大腸の部分では、人間の感情を支配するセロトニンという神経伝達物質が作られているということが判明した。また、丹田の温度を上げたり下げたりすると、感情や思考が影響を受けるということが解明されつつある。また、感情の起伏が心臓の機能を左右して、それが脳や他の臓器にも指令を出すということも解ってきたようだ。

最先端の医学と科学は、さらにすごいことも解明してきた。今までは、身体の各臓器と組織へのすべての指示命令は脳を通して行われているものと思い込んでいたのであるが、それがまったく違うということが解明されたのである。心臓は勿論、肝臓、すい臓、腎臓、脾臓、さらには大腸・小腸までもが、それぞれに独立して各臓器に指示命令を出していることが解ったのである。さらには、筋肉組織や脂肪細胞までもが、自分で判断して各臓器に指示命令をしていることも解明されつつある。驚くことに、身体の各臓器や各組織だけでなく各細胞までもが、自己組織性を持つということが証明されたのである。

言い換えると、各臓器や各組織、そして各細胞が、主体性と自主性・自発性を持つと共に、責任性を持ってお互いに協力し合いながら、人間全体の為に過不足なく働いているというのだ。ということは、『心』は脳だけでなく、心臓、肝臓などの各臓器、筋肉などの各組織、そして各細胞に存在するということになる。つまり、人間の身体全体に『心』が在るということだ。この人間の身体全体のネットワークは、寸分違わず働き続けている。しかし、時折このネットワークは誤作動を起こす。それが疾病であるとも言われている。

人間全体の心は実に複雑であり、いろんな機能を発揮する。そして、人体の全体に存在する心はどちらかというと無意識の心である。無意識のうちに、人体全体の最適のために働き、それぞれが深い絆とつながりを持って協力しながら活動しているのである。あたかも、人間が社会全体の最適化の為に働き、人間どうしが深い絆とつながりで結ばれ、お互いに支え合って生きているようなものなのである。本来人間とは、自分だけの幸福を求めるようなことはせず、社会全体の幸福を目指して生きるようになっている。人体にある心もまた、無意識でそのような働きをしている。

ところが、時折人間というものは自分の豊かさと幸福だけを求めて生きてしまう性(自我)を持っている。こういう自我(エゴ)に基づいた行動をしてしまうのが人間の悲しさでもある。このような行動をすると、人間は誰からも相手にされず、敬愛されることもなく、孤独になる。つまり、関係性を失い社会から抹殺されるか見放されてしまうのである。そして、無意識の心である身体の働きと違った行動をしてしまうことで、心と身体の動きが乖離してしまい、誤作動を起こしてしまうのである。これが病気である。人体全体に存在する心と同じように、我々は全体最適(全体幸福)を目指して、生きなければならないと心得たい。

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