自殺願望の人を救えるか

自殺願望者を自殺サイトで巧妙に誘って、金を奪い乱暴までして9人の命を奪うという凶悪事件が起きた。自殺を志望しているとは言っても、人の命を奪うという卑劣な行為は絶対に許せない行為である。自殺サイトというのは、インターネット上のSNSを利用したものであり、登録してお互いに対話をしている人はかなり多いという。どうせ自殺しようとしているのだから、それを助けて上げただけだという認識を彼が持っているとしたら、それはおおいなる勘違いである。

自殺願望者の方たちがSNSで発信しているツィートを見ると、既に自殺する気持ちを確定している人は極めて少ないことが伺える。まだまだ迷いがあって、心の奥底では誰かに救ってほしいという気持ちがどこかにあって、そんな気持ちが見え隠れしているのである。だから、中には自殺を手伝うという人がいたとしても、または自殺を早くしろと促すようなツィートをしても、反発する自殺願望者が多いように見受けられる。自殺願望者たちは、自殺をする前に自分の心の悲しさ苦しさ辛さを解って、共感してほしいと思っているのである。

自殺を救うNPOやそのサイトを見ていると、自殺そのものを否定するのでなくて、自殺願望者の気持ちに寄り添うことがまずは必要だとしている。自殺願望者のサイトを見ていると、自分の気持ちに寄り添って共感してくれる人がいないという嘆きが漏れ聞こえる。厚労省の自殺を救うサイトも開設されていて、まずは相談を受けて共感することに重きを置いている。しかし残念なことに、いろんな支援施設に実際に駆け込んで、救いを求める自殺願望者はけっして多くないのである。自殺を思い止まらせることが難しい所以である。

自殺願望の人を救う、現代の駆け込み寺的な宿泊施設がある。『森のイスキア』という施設である。青森県の弘前市、岩木山の麓にあるこの施設は、佐藤初女さんという女性が運営していた。佐藤初女さんは、日本のマザーテレサとも呼ばれていた人で、彼女の握ったおむすびを食べただけで自殺を思い止まったという有名なエピソードがある。心が疲れ切って完全に心が折れてしまい、生きる気力を失ってしまった人がこの森のイスキアを訪れて、また生きようと思い直す施設である。残念ながら、昨年の2月に佐藤初女さんが94歳の生涯を閉じられて、森のイスキアは現在活動を休止している。

佐藤初女さんは、特別な心理療法や助言をする訳ではなかった。心の籠った料理を食べさせて、ただ寄り添い共感するだけで、利用者自ら話し出すのをじっと待っていたという。利用者は佐藤初女さんの料理で癒されて、彼女の優しさと包容力を実感し、自分の苦しさ悲しみを訥々と話し出す。一切否定されることなく傾聴と共感をしてもらうことで、本人は安心する。そして、自分自身の力で解決策を見出すという。こうして、多くの心を痛めた方々が救われてきたのである。このような癒しと救いの施設がなくなってしまったのは、こういう悲惨な事件が起きるとつくづく残念なことである。

自殺願望者をSNSなどの自殺サイトや相談支援のサイトで救えるかと言うと、成果は限定的であろう。やはり、人の心を癒すには傾聴と共感だけでは難しいというのは、専門家の共通認識であろう。バーチャルの世界や電話応対でヒーリングを受けたとしても、絶対的なお互いの信頼関係を築くのは難しいからである。実際に出会って、相手の表情やそぶりを見ないと親近感は湧かない。ましてや、人生に絶望した人を救うのは、特別な食事などの提供も必要であるし、農業体験や自然体験などの仕組みなども求められる。マインドフルネスの時間も共有しなければならない。

ところで、座間市で起きた残虐事件の犯人は、父親に対してこんなことを言っていたという。「人生を生きる意味が見つからない。死んだほうがましだ」と。彼にも自殺願望が実際にあり、だから自殺サイトにアクセスしたのかもしれない。自殺願望の方々はおしなべて、自分の生きる意味を見つけられず苦しんでいるように思える。生きる意味とは生きる目的と言い換えていいかもしれない。正しい生きる目的を見つけるには、崇高で真理に基づいた価値観を持つ必要がある。間違っている低劣で劣悪な価値観では、正しい生きる目的は設定できない。自殺願望者の方々に、正しい価値観(哲学)を気付いてもらう支援施設が必要ではあるまいか。

※『イスキアの郷しらかわ』では、心の籠った自然食の料理、農業体験&自然体験、そしてマインドフルネスの実践を提供しています。さらには、正しい人生の目的を見つけるための価値観学習をしています。

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