母からの最期の贈り物

自分の家系にレジェンドとも呼べる先祖がいたことを発見した。こんなにも尊敬すべき曾祖父がいたんだとびっくりした。つい先日身内に不幸があった。おかげで、しばらくぶりに親戚一同が顔を揃え、昔話に花が咲いた。祖父の米三の父に米吉という名前で、私にとっての曾祖父がいたというのは知っていたが、その米吉が当時とんでもないことをしていたということを聞いたのである。どちらかというと先祖の男性たちは、実にだらしない者ばかりだと思い嘆いていたのに、リスペクトすべきレジェンドがいたというから驚きだ。

米吉という曾祖父には、4人ほどの実子がいた。その他に少なくても4人の他人の子どもを育てていたというのである。今でいう里親である。彼の職業は石工であった。会津一円を回り歩いて、泊りがけで墓石などの製造設置を請け負っていたという。仕事で行った先で、貧困やいろいろな事情で育てられなくなってしまった子どもがいると、その子どもを預かったという。見捨てられそうになっている気の毒な子どもたちを見ると、どうしてもほっとけなくて、家に連れてきたらしい。すごい人だったと思う。

曾祖父の米吉の家計はけっして裕福ではなかったらしい。かなりの借財を抱えていて、その借財を返済するのに祖父の米三がかなり苦労した。米吉の妻はおチョウという賢母だった。回りの人々は彼女を、尊敬を込めておチョウ婆と呼んでいた。仕事のため出張していて殆ど不在だった米吉に代わり、おチョウ婆は1人で子どもたちを育てたという。それも、実子の4人と分け隔てなく、もらいっ子の子どもたちも同じように愛していたという。米吉といいその妻といい、当時の貧しい山村で里親を立派に務めていたというのがすごいことだ。

この話を聞いて、すごく納得したことがある。困っている人を見ていると、ほっとけなくなってついつい手助けしてしまうのは、自分の性格が祖先のDNAを引き継いでいるお陰なんだということだ。20年前からNPO活動に取り組んできたのも、個人的に困っている多くの人々の相談相手になってきたのも、祖先の遺伝子が脈々と引き継がれている所以なのだ。公益活動をライフワークとして取り組んできたDNAは、祖先の米吉とおチョウ婆からの贈り物だったのである。もしかすると、自分は米吉かおチョウ婆の生まれ代わりかもしれない。

ある叔母がこんなことを言っていたらしい。ある祈祷師に自分の人生を占ってもらったことがあった。その祈祷師が言うには、何人もの子どもたちから慕われて一緒にいる男の姿が目に浮かんだから、誰か教師をしていた祖先がいるのかと聞いたという。叔母は、こういう祖先がいて里親をしていたと答えたら、その男のお陰であなたは助けられていると言ったらしい。その祖先が、里親として立派に何人もの子どもを育てるという徳を沢山積んできた。だから、あなたは本来恵まれないような暮らしになる運命だったのに、その徳のお陰で助けられているのだから、祖先を敬い続け感謝して生きなさいと教えられたという。

業(カルマ)は、自分の身に降りかからずに、子孫にもたらされるとはよく聞く話である。悪い業も良い業も、子々孫々に受け継がれると多くの人々が信じている。まさかそんなことが科学的にはあり得ないことではあるが、何となく腑に落ちる処はある。自分を犠牲にしてまでも人々の為に尽くし続けている人がいたら、周りの人々はその人を尊敬し信頼するし、その人のために恩返しをしたいと思う。多くの人々が敬愛して止まないから、子々孫々まで語り継がれる。当然善行を積んだ人の子孫も、困った時は助けられる。その逆も真なりである。業が子孫に降りかかるというのはこういう意味なのであろう。

今回、天寿を全うした母が永眠して会津に5日間行って、永遠の旅路に見送ってきた。通夜の席などで兄や叔母たちから祖先のことをいろいろと詳しく聞かされた。米吉とその妻おチョウ婆のことが一番衝撃的であった。自分の祖先を誇らしく思えた。そんな祖先を持つ我が家系も誇らしいし、そのDNAを引き継いでいる自分をも敬愛する心が芽生えた。自分が取り組んでいる『イスキアの郷しらかわ』プロジェクトのルーツが、祖先の米吉とおチョウ婆にあったのだと解って、俄然奮い立つことが出来た。母の葬儀で皆が集まり、昔話に花が咲かなければ、知らなかったことである。亡き母が私にくれた最期の贈り物だった。

“母からの最期の贈り物” への2件の返信

  1. とてもよいお話ですね。
    今の自分と、祖先が繋がったなんて~
    益々、自信につながりますね。

    実は、この春に従弟が、夏の終わりに義理兄が亡くなりました。
    葬儀に出て、思うところが多々ありました。

    NHKで有名人のルーツを探す番組がありますが、調査の結果を知って、本人が疑問に思っていたことが解明されることが多いようですね、今後の生きる力に繋がっているように思います。

    私も、おおよそのルーツは知っているつもりですが…
    冠婚葬祭時の親戚縁者との、たまたまの先祖の話にヒントがあるのでしょうね。

    1. Nasukoさん、ありがとうございます。私の祖父母や叔父達、そして父親は人様にあまり自慢できるような人生を送ったとは言えず、どちらかというと隠しておきたい気持ちでした。自分の祖先を尊敬できるかどうかというのは、自尊感情にも繋がりますから、大切なことだと思います。自分の祖先に誇れる人がいたというのは、すごく嬉しいことです。

      Nasukoさんの身内に立て続けにご不幸があったんですね。亡くなった方をお見送りするのは、寂しいことではありますが、その人の記憶を思い出したり敬愛したりする機会にもなります。日本の古い葬儀のやり方も、意味があるんですね。

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