中道について

間もなく国政選挙になりますから、中道なんて言うと選挙がらみの話題かと勘違いされる方もいらっしゃるかもしれません。本日の話題の「中道」というのは、人間の生き方におけるバランスの取れたベクトルという意味です。革新か保守で、国政選挙が闘われるのかと思っていたら、どうやら保守が二分されているみたいで、リベラル派の勢いがないというのは寂しい限りです。その話題はさて置いて、生き方について述べてみたいと思います。

人間の生き方や考え方で中道というのは、様々なケースが考えられます。例えば、精一杯頑張りチャレンジを続ける生き方と怠け者で諦めの早い人、そこそこ頑張る生き方。ものすごく頑固一徹で絶対に生き方を曲げない人と自分の信念などなくてこだわりがなく人の言いなりになるような人。誰に対しても厳しい態度でしかも自分にも厳しい人と誰に対しても柔和であり自分にも甘い人。誰に対しても親切で陰ひなたなく自分を犠牲にしても尽くす人と身勝手で自己中で損得勘定の高い人、正義感が強くて曲がったことが大嫌いな人と法律や決まり事なんておかまいなしの無法者。それらの生き方の中間の生き方をしている人を中道と呼ぶのでしょうか。

何事も極端というのは、周りの人たちを戸惑わせたり困らせたりするものです。誰しもやはりどちらにも偏らなくて中道の生き方、丁度よい生き方がよいのではないかと思います。しかし、果たしてそれで良いのでしょうか。半々ぐらいの生き方を中道と言うのでありましょうか。元々、中道というのは仏教用語であります。原始仏教においては、苦行と快楽を対比しての真ん中の道ではなくて、どちらにも属さない道を『中道』と呼んだようです。その後、やはり仏教においては両極端でない真ん中の道という意味ではなくて、どちらにも惑わされず引き込まれず独自の正しい道を中道と言うらしいのです。

人間の生き方で大切なことは、譲れないことは絶対に譲ることが出来ないということです。正義感は絶対になくしてはならないし、人間としてのあるべき道は頑固なぐらいに譲れないし、自分に対する厳しさは絶対に捨ててはなりません。こういう点は、極端な生き方であっても構わないと思うのです。ですから、両極端の良い部分は残しながら、他人に対してはなるべく緩い生き方を志したいものだということです。両極端な生き方を統合して、良い部分だけを生かして、新たな生きる価値を生み出して生きてゆくというのが、本来の中道ではないかと思うのです。

政治の世界でも、保守だの革新だのと自分の政治信念を固定するのではなくて、保守の良い部分と革新の有意義な部分を生かして、国民の幸福と豊かさを追求して行くのが、政治的中道ではないかと思うのです。リベラル派という政治家がもてはやされた時代もありましたが、もはやそのリベラル派という言葉に輝きも魅力も感じなくなってしまいました。それは、とりもなおさずリベラル派の政治家たちが、国民が真に志向する政治を提起できず、人々の意識を集合化できなくなり、改革のエネルギーを集約するのが難しくなったせいではないかと思います。

政治の世界にもやはりイノベーションが必要ではないでしょうか。既成の政治概念に固執することなく、もっと柔軟で革新的な為政方針を打ち立てる時代にきているように感じます。今回の衆議院選挙の公約を拝見すると、まったく魅力を感じる新しい提案提起をしている政党はありません。人間の生き方における中道のように、今までの政治手法や経済運営のやり方ではなく、すべての政治的価値を統合させたうえで、新たな大きな価値を創造するような政治的課題を提起してくれたなら、その政党を選びたいものです。それが政治のイノベーションではないかと思うのです。やはり、最後は政治の話題になってしまいましたね(笑い)

 

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