DVがなくならない訳

夫を持つ妻や恋人を持った経験のある女性のうち、DV(ドメスティックバイオレンス)を1度でも受けた人は、全体の25%に上ることがアンケート調査の結果判明したという。そして、何度も繰り返してDVを受け続けている女性も、かなり多いということが解ったらしい。しかし、これだけで驚くのは早計と言わねばならない。何故なら、ここでいうところのDV被害は、あくまでも実際の暴力行為であり、手や足などを用いたDV以外のDVである、暴言や無視の態度によるDVは含まれていないからである。このような言葉や態度の暴力を含めたら、おそらく半数以上のカップルにDVが起きているに違いない。もしかすると、8割以上のカップルに存在するのではなかろうか。

近年、男性側からの離婚申し立てはあまり増えていないが、女性からの離婚申し立てが急増しているらしい。その離婚理由のうち、DV被害もまた急増しているという。最近話題になったモラハラも離婚の原因として増えている。どうして、こんなにもDV被害が原因による離婚が増えているのであろうか。男性側としての言い分は、DVは愛情表現のひとつだとか、妻を指導教育する一環として、厳しい言葉を投げかけているだけだから、けっして言葉の暴力には当たらないと主張している例が多い。離婚を申し立てられた男性に聞くと、まったく自分には心当たりがないというらしい。女性は既に愛がすっかり冷めているのにも関わらず、男性側では今でも愛していると未練たっぷりの態度を取るという。

DVだと認識していないことといい、妻の気持ちをまったく理解していないことからも想像するに、夫である男性が自己中心的でかなり身勝手であるということである。これは、特定の男性だけの特徴なのではなくて、世の中の大半の男性がそうだと言える。離婚までは行かなくても、横暴で身勝手な言動をする夫に対して、我慢に我慢を重ねている妻は、想像以上に多いという。その証拠に、夫が定年後に熟年離婚に踏み切る妻が非常に多いという現実がある。そう言えば、SNSでブログやコメントに対する批判的なコメントをするのは圧倒的に男性であり、空気を読めないばかりか、他人に対して批判的態度を取る例が実に多い。共感的なコメントをする男性は極めて少ないと言ってもいいだろう。

それでは、家庭内で夫は妻に対していつも横暴で冷たいのかというと、けっしてそうではない。実に優しい態度をすることもしばしばである。例えば、バースデーやクリスマスのプレゼントを欠かすことなくしているし、度々映画館やレストランに誘うし、旅行にも連れて行きたがる。だから、そういう優しい態度を見せることもあることで、DVを我慢する妻がいるのだ。男性は、DVをしてしまうという一面と一方では優しい思いやりを示す一面の両面の人格を有しているのである。そして、間違いなく妻を好きで堪らないし、暴力を振るうのは、相手が嫌いだからという理由ではないのである。勿論、不機嫌な態度をしたり無視したりする態度をするのも、けっして愛してないからという理由ではない。

つまり、夫が妻に対してDVとか、態度や言葉の暴力を振るうのは、相手が嫌いになったとか憎んでいるという理由ではないのである。愛するが故に、自分の思い通りの妻になってほしいと無意識で願い、DVや態度の暴力を用いて、支配と制御をしたがるのである。自分の所有物だと勘違いして、意識することなく独占したいとか自分の思い通りの操り人形にしたいと、DVや態度の暴力というツールを用いるのである。それは、本当の愛ではない。単なる自分にとって都合の良い妻を飼育しているだけであり、人間としての尊厳をまったく認めていないという態度である。暴力で妻を支配するなんて、人間として最低である。とは言いながら、妻はDVを受けるとつらい気持ちになるし、中にはこんな目に遭うのは自分がいたらないからだと自分を責めるケースもあるらしいのだ。許せないし、やるせない。

何故、そんな男性ばかりなったのかというと、客観的合理性を重視した近代教育の影響であろうと思われる。相手を客観的に観るということは、相手の気持ちに共感出来ないということである。自分に取って都合の良い解釈しか出来ないし、相手の気持ちになりきった心を持つことが出来なくなるのである。つまり、近代教育は身勝手で自己中心的な人間を育ててしまうのだ。勿論、男性ばかりではなく女性もそういう傾向になるのだが、脳の構造的特徴から、女性よりも男性のほうが強く出るらしい。思想教育を廃した近代教育を長い期間受けた、高学歴の人ほどその傾向が強いし、収入の多い職業でしかも会社で評価の高い人ほど身勝手な夫になる例が多い。DVを無くす為には、価値観の学習や高い思想を得る形而上学の教育を受けるしかない。高い価値観を持った人間は、人が嫌がることをしないし、温かい態度を取り真の優しさを持つ。DV被害を無くすには、高い価値観の教育しか方法がないということである。

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