教育とは誰のためにするのか?

学校教育とか家庭教育、社員教育であろうと、教育をする者としてのその使命と役割が重大であることは、誰しも共通の認識であろう。しかしながら、その重大な使命と役割が何であるのか、正確に認識している教育者は殆どいないのではなかろうか。その証拠に、教育を受ける側が、学ぶことに対してけっして能動的とは言えない態度であり、学ぶことの楽しさを味わっているとは思えないからである。それ故に、教育効果があまりにも低いばかりか、誤った教育に対する考え方が蔓延し、社会への悪い影響を与えているように感じる。あまりにも自己本位で、責任感もなく自発性と主体性のない、自分のことしか見えず目の前の欲望に押し流される人間があまりにも多いのである。それは教育の不備や失敗によるものだと断言してもよいだろう。

そもそも、何のために教育をするのかという理念さえも誤解している教育者が多いことに驚く。子どもたちに何のために学ぶのか?と聞くと、自分の為と答える子どもが多数を占める。ここからして間違っているのだから、教育の理念などないに等しい。保護者も含めて多くの教育者は、良い高校大学に入って安定した優良企業に就職することを目標にしなさいと子どもたちに言い聞かせ、勉強は自分の為と公言して憚らないのである。これでは、子どもたちが勉強を好きになる筈もないし、勉強の成果などあがることなど期待できないであろう。何故なら、学ぶ本当の目的は他にあるし、なにしろ人間という生き物は、自分の為には頑張れないように出来ているからである。

という私も小さい頃から、勉強は自分の為にするんだと親や教師から言われて育った。おかげで、勉強が大嫌いでいつも落第すれすれの点数であったが、かろうじて高校を卒業後に私立大学を出て、地元の安定した団体の職員として就職した。当然、自ら勉強する気持ちにもなれず、就職した後も人間として大切な思想哲学の勉強さえしない、まったくのお気楽人間として人生を送っていた。かろうじて好きな読書は続けていたが、本来学ぶべき人間の生きる目的や理念を学ぼうとしなかったのである。今から思うと、まったく恥ずかしい限りであり、若いときにもう少し勉強すれば良かったと思っても、今さら後の祭である。そんな馬鹿な自分も、我が子の子育てをして行くうちに、教育の真の目的と役割を気付かせられたのである。

教育は何の為にするかと言えば、周りの人々を幸福にする為、つまり社会貢献をするのに必要だからである。この世の真理である全体最適という人間全体の命題を実現する為にこそ、人間は学ぶのである。人の為世の中の為に学ぶのであるから、勉学を怠けてはならないのだ。自分の為だけなら、将来困るのは自分だけだから、自己責任なので勉強しないのも許される。しかし、この世界全体や宇宙全体の為に学ばなければ、自分のせいで社会全体を不幸にするかもしれないのだ。責任が重大なのである。IPS細胞を発見した山中教授が、もし若い頃勉強しなかったら、研究の成果を得られずに、多くの人々を幸福に出来なかったかもしれない。エジソンやビルゲイツが青少年時代に勉強しなければ、私たちの生活はこんなに便利にはならなかったかもしれないのだ。

学ぶ目的が明確になれば、子どもたちは生き生きとした勉学態度に変化する。そして、第2第3の山中教授も出現するであろう。そのような学びに対する考え方、つまりは思想哲学を子どもたちや社員たちにしっかりと伝えるのが、教育者としての使命であり、大きな役割だろうと考える。そして、自ら進んで学ぶ姿勢を持ち、喜びを持って社会のために働くという、自発的で主体性を持ち、しかも自らの責任感をしっかりと持った人間を育てることが、教育者としての大きな使命であり役割でもあると考える。恥ずかしながら還暦過ぎた年齢になった今、勉強が楽しくて仕方がない。思想哲学の勉強を日々楽しく続けさせてもらっている。どうしたら多くの人々を混迷の世界から救い出せるか、そして真の幸福を多くの人々にもたらすことが出来るか、浅学菲才の私なので成果はあまりあがらないが、毎日勉学に勤しんでいる。おかげさまで、何の為に学ぶのかという真理を、少なくても自分の子どもたちには伝えることが出来たと自負している。正しい教育をすることが、人間としての大きな社会貢献なのだと確信している。

“教育とは誰のためにするのか?” への2件の返信

    1. 原さん、ありがとうございます。ようやく、ここまで来ました。ずっと原さんからご支援して頂きましたお陰で、立ち上げることができました。外国の方がいらした時に、是非ともお力をお貸し頂けたらありがたいです。通訳をお願いしたいと存じます。
      これからもよろしくご支援をお願いします。

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