無縁社会に陥る原因とは

今の世の中、無縁社会と言われている。NHKTVにおいても、クローズアップ現代で無縁社会を何度も取り上げている。過剰演出だという批判もされているようだが、家族というコミュニティは、確かに崩壊している場合が多いようだ。昔は、生活保護を受けるという人は滅多にいなかったものだ。子どもが老親を面倒見るというのが当たり前だった。また、子どもがいない人は、兄弟と甥や姪が面倒を見るというのが当然だった。しかし、今は実の親でさえ見捨てる子どもがいるのだ。

こんな例も多いという。年老いて病気になり、入院した母親が入院費を払えないというので、近県に住む息子に病院のケースワーカーが連絡した。その息子は、著名な都市銀行に勤める管理職だったらしい。しかし、親を面倒見るつもりはないから、生活保護を申請してくれと言ったとのこと。若い時に何かあったのかもしれないが、十分な収入がありながら、実の親の入院費や生活費を負担しないというのは、とても考えられないことだ。別世帯であり、収入も財産もないから、生活保護は認められたが、何となく腑に落ちない話である。

こんな世の中だから、益々生活保護世帯が増加している。子どもでさえ面倒見ないのだから、親戚が生活費を負担する訳がない。離婚が増えているのも、こういう一人暮らしの老人が増えている要因にもなっている。母親に子どもは付いてくるが、父親は子どもから見捨てられるケースが多い。こうなると、年老いて一人暮らしになる男は惨めだ。女性は一人暮らしが苦にならない場合が多いが、男性の一人暮らしは寂しい。孤独に耐えるのが、男は難しいという。身から出た錆とは言いながら、一人寂しく老後を過ごす男も多い。

さて、こういう無縁社会の原因は何だろうか。家族というコミュニティが崩壊したのは、何故なのだろうか。いろいろ原因はあげられるようだが、家族というものに求心力が無くなっているのは事実である。つまり、家族の関係性が希薄化しているということだ。夫婦は簡単に離婚するし、親子や兄弟の縁も非常に薄くなっている。絆(きずな)というものが、お互いに感じられない世の中なのかもしれない。本来、家族と言うのは強い絆で結ばれているものであるが、その絆がないということなのだろう。

本来人間というものは、単独では生きていけないものだ。社会という世界で、いろんな関係性によって生かされている。社会を構成する要素である人間が、その関係性をまったく無くしてしまったら、存続できないのである。何らかの関係性があるおかげで、衣食住や各種サービスを得られて生活していけるのである。そして、関係性を深く多く結べる人が、多くの人々から信頼され感謝され愛され、幸福な人生を送るのである。一方、関係性を結ぼうとしなかった人が、無縁社会と呼ばれる悲惨な社会で、寂しい老後を迎えるのである。

つまり、無縁社会というのは関係性をないがしろにした為に起きた必然的な状況なのではないだろうか。家族にしても地域にしても、関係性を大事にした生き方をしていたならば、絆は結ばれている筈で、そんなに簡単に絆が解けることはないものだ。つまり、個を大事にするような生き方ではなくて、お互いの関係性を大切にする生き方は、言い換えれば相手の気持ちになりきって、相手の幸せや心の豊かさを支援する生き方である。誰でも自分が可愛いものだ。しかし、敢えて自分を後回しにして、家族や周りの人々を利する生き方をしてきたならば、その人が困った際は、誰かが助けてくれる筈である。仏教用語で言うところの、忘己利他の生き方をしていれば、困った時に必ず援助者が出てくるものだ。情けは人の為ならずというではないか。

無縁社会というのは悲惨であるが故に、そうならないような施策が必要だ。政治や経済が悪いからだと、人のせいにしていたらいつまで経っても改善されない。先ずは、自分の生き方と意識を変えていく必要があると思われる。人々との関係性を豊かにするにはどうするかという命題に基づいた生き方考え方に、今シフトすべきなのである。その為には、意識改革も必要であろう。マスメディアも単に無縁社会をセンセーショナルに喧伝するだけでなく、その原因と対策をしっかりと洞察し明らかにして、人々に声高らかに伝えてほしいものである。

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