子育てにおける父親の役割

イクメンが増えているという。それはそれで好ましいことである。父親が育児を分担してくれていることにより、母親の家事負担が減少して、余裕のある育児ができるから、子どもに対して豊かな愛情を注ぐことが可能となる。そして、父親が育児を経験することで、子どもの微妙な心の動きを解ろうと努力することにより、共感の心が育まれる。さらに、両親が協力して育児をすることによって、夫婦お互いの支え合いの気持ちが生まれるので、家族の絆が強まることであろう。これらの理由から、イクメンがもっと増えてほしいと願っている。

しかし、イクメンという言葉が何となく軽々しい感じがするし、子育てにおける父親の本来の役割が果たせているのかという不安がある。イクメンというファッショナブルな言葉で、育児を喜んでする父親が増えるというメリットがあるとしても、何となく違和感を覚えるのである。何故かというと、子育てにおける父親の役割とは、根本的に母親のそれとは違っていると思うからである。ましてや、イクメンというと乳幼児期の育児参加という意味合いが強い。父親の子育てにおける本来の役割が発揮されるべきなのは、乳幼児期を過ぎた頃からではないかと思うのである。だから、イクメンだけで子育ての役割を果たしたと満足してほしくないのである。

三人の息子たちを育てた経験から、過去を振り返ると実に様々なシーンが甦る。家族5人揃って車に乗って外出した時のことである。車中で、いろいろな会話をしていた時のことである。助手席に座っていた当時小学生高学年の長男が涙を流しながら、嗚咽しているのに気付いた。どうしたんだいと問うと、「お父さんの話に感動したあまり、泣けてしまったんだよ」と言うのである。確かに、その時に人間として生きる意味やあるべき生き方の話をしていたので、感動するというのは解るが、感涙するまでに心に染みるというのは意外でもあった。それを聞いた自分も涙を流して喜んだのを鮮明に覚えている。

子どもに対して、父親がいろんな教訓や教示を話すケースは少なくない。しかし、子どもがそれらの話を聞いて、感涙するまでのレベルまで到達するのは、そんなにないだろうと思われる。手前味噌の話ではあるが、父親と言うのはそれぐらいの話を子どもに出来ないというのは、情けないことだと思う。小学高学年の子どもが哲学的な話をしても解らないだろうと思う人が多いかもしれないが、子どもというのは、この手の話を渇望しているのである。試しに、子どもに哲学や思想、または価値観の話をしてみてほしい。子どもはこのような話を、それこそ目を輝かせるほど生き生きとして聞くことであろう。

近代教育を受けている子どもたちは、学校教育で思想・哲学の学びをしていない。何故なら、明治維新以後に西欧から近代教育を導入して以来、思想哲学は富国強兵の近代国家の設立には不要なものとして排除された。そして、戦後はGHQ政策により、家長制度と軍国主義を崩壊させる為、思想哲学を学校教育で禁じたのである。さらに、日教組は価値観の教育こそ民主主義の敵だと勘違いしてしまい、教室で人間の生き方やあるべき人間教育までも止めてしまったのである。だから、愛国心という言葉さえ死語化させてしまったのである。これが日本人を不幸にさせてしまった根源的問題であろう。GHQにより日本人は洗脳されてしまったのである。

今、学校で的確で適切な道徳教育ができる教師は殆どいない。恐る恐る「心のノート」を棒読みして倫理観や心の在り方を教える先生が少しは存在する。しかし、日教組は「心のノート」を、国家権力を強めるものだとして排除しようとしているし、道徳教育に懐疑的である。小さいところの問題に固執して、大局を見失ってしまっているのだ。ということは、思想哲学や価値観の教育を子どもたちは渇望しているのに、応えられていないのである。とすれば、父親かそれに代わる誰かが、子どもたちに価値観教育をしなければ、子どもたちが生きる道標を見失ってしまうのは当然である。

現在、不登校や引きこもりという大きな教育的問題が存在する。その原因は、社会の制度や学校の環境そのものの問題にあるとしても、そんな中でも根本的な生きる価値観を持てたとしたら、苦難困難にもチャレンジできる勇気を奮い立たせることができるに違いない。そして、その価値観教育をする役割こそ、父親かその代役が務めなければならない。子育てにおける本来の父親の役割が、思想哲学、そして価値観の教育である。社会には様々な苦難困難が待ち受ける。それらの苦難困難に逃げることなく立ち向かっていく強い精神は、価値観の教育で養われるのである。その父親の役割を全うしてほしいものである。

 

※イスキアの郷しらかわでは、この思想哲学や価値観の教育を父親または母親に対して実施します。ご希望される方があれば、お申込みください。1泊2日コースか2泊3日コースで価値観教育を重点的にさせてもらいます。なお、家庭の都合で日帰りの研修をお望みであれば、数日間を要しますがご相談ください。子どもに幸福な人生を歩んでほしいと思うなら、是非ともご利用ください。

エラー: コンタクトフォームが見つかりません。

いじめから子どもを守る対処法

子どもがいじめに遭っている場合、どのように対処したらいいのか迷う処である。そもそもいじめに遭っていることを子どもが内緒にしいるケースが殆どである。先生にも親にもいじめられていることを訴えることが出来ないのである。何故なら、先生に話しても適切な対応が出来ないばかりか、かえって陰湿ないじめに発展するとか、先生にちくったということでより過激ないじめになりかねないことを知っているからである。先生が守ってくれるという確信を持てるなら訴えるのであろうが、残念ながら期待できないのであろう。

親に対してもいじめられていることを訴える子どもは少ない。いじめられていることを訴えても、適切な対応をしてもらえないということと、かえってこじれることが予想されるからであろう。さらには、それだけの深い親子の関係性が構築されていないからではないだろうか。どんなことがあっても親は自分を守ってくれるという、親子の絶対的信頼関係があれば、子どもはいじめられていることを訴えるに違いない。ただし、いじめられていることに対してどんな対処法をすれば良いのか、迷うものであろう。

親が学校に行って、いじめの実態を先生に話したら、どのような解決をしてくれるのであろう。子どものことを先生は守ってくれるのであろうか。いじめている子どもは仕返しをしないであろうか。そんな心配もあるから、安易に学校関係者に話すことを躊躇するに違いない。とはいいながら、警察や法務局などに訴えることまではしたくないのが本音である。自分自身で解決できるならいいが、下手に動いたら悪化させかねない。いじめている子どもと直接話す機会もないし勇気もなく、どんな説得をしたらいいか解らないであろう。いじめている子どもの保護者に直接話すのも、その後の進展を考えると厳しいと思われる。

自分の子どもが中学生の時にいじめられた経験がある。その時にある対処をして上手く行った例があるので、参考にしてもらえたら有難い。当時中学1年生の息子が、学校から帰ってくるなり、「明日から僕は学校に行かない」と言い放った。どうしてと聞くと、どうやら同じ部活の生徒からいじめを受けたからだという。息子はあるスポーツの部活をしていて、その同じクラブの生徒から執拗ないやがらせを受けたという。それも息子が乗っている時に、自転車を蹴って倒すということを何度も繰り返す陰湿ないじめである。「やめてよ!」と何度も言ったが聞き入れてくれないという。

うちの息子は、非暴力主義というのか争い事が嫌いなので、暴力で対応するのはしなかったせいか、度を過ぎた嫌がらせが続いたらしい。いじめをした子どもは身体も大柄で、常日頃乱暴な行動を学校でしていたこともあり、反抗できなかったみたいである。息子はスポーツ少年時代から同じスポーツをしていたので、1年からレギュラーをしていたことから嫉妬もあったのではないかと推測している。子どもたちの心というのはデリケートであり、子育ては難しい。変な対応をしてしまうと、心の傷を残しかねないので、どうしたらいいのか自分でも正直迷った。

そして、次に驚くような行動をしていた自分がいた。息子を連れて、その家に今から行こうと誘った。幸運にも同じ部活だったこともあり、その家の住所を知っていたし、親とも面識があった。自家用車に乗って、そのいじめをした子どもの家に親子ふたりで向かった。たまたま、その家にはご両親が揃っていた。その親に挨拶して、「子どもどうしがどうやら気まずい出来事があったみたいなので来ました。仲直りをしてほしいので二人で遊ばせてもらいたいと思ってきたのでよろしくお願いします」と頼み込んで、家に入れてもらった。子どもどうしは、親が見ているから何事もなかったかのように遊び始めた。その間、親同士はいじめがあったことを敢えて話題にはせず、たわいもない世間話をしていた。

その家の子どもは学校では乱暴なことをしていたが、家の中では『良い子』を演じているというのは予想していた。ご両親もしっかりした方で、おそらく厳しい躾をしていたと想像していた。だから、あえていじめのことは触れず、子どもどうしを遊ばせることにしたのである。意地悪をしていた子どもは、家の中でよい子を演じ過ぎているが故に、そのストレスの捌け口を学校で発揮していたと思われる。親にいじめをしたことが解ったら、どんなに厳しく叱られるか解らない。内心、びくびくしながら遊んでいたに違いない。今後、何か息子に嫌がらせをしたら、今度こそ告げ口をされないとも限らないと思ったのであろうか、その後いじめはなくなった。親同士がこんなにも親しく会話しているということが、いじめのストッパーになったのには間違いない。いじめ事件を通して、子どもどうしの関係性が深まり、そして親同士の関係性も豊かになった。いじめに対応する時に考慮すべきなのは、『関係性』という価値観である。息子との関係性が良かったから、いじめを告白してくれたと思う。このような解決策が出来たのは、好運だったのかもしれないが、参考にして頂けたら有難い。

完璧な親を演じてはいけない!

駄目な親が子どもの健全育成を阻害するというのは、誰でも理解しているが、完璧な親もまた子どもの育成に悪影響を与えるということは、あまり知られていない事実である。特に男の子というのは、父親に対する憧れと尊敬が存在するものだが、あまりにも完璧で偉大な父親だと、子どもの自尊心が育ちにくくなり挫折してしまうことが往々にしてあるのである。自分の身の回りで、こういう親子が多いことに気付くことであろう。教養も高くて社会的な地位と名誉もあり、非の打ちどころもないような父親の息子が、問題行動をするケースが少なくないのである。

芸能人の世界でもよくあるケースであるが、一流の芸能人の子どもが薬物中毒事件を起こすことがある。スポーツ界では、超一流のアスリートの子どもは同じスポーツで大成することが殆どなくて、どちらかというと二流で終わることが多い。例えば、プロ野球の野村監督の息子や長嶋監督の子どもが二流のままで終わったのは以外に思った人も多いことであろう。ただし、親と違う種類のスポーツ界では大成することがある。中小企業のオーナー社長で、一代で大成功を収めた二代目または三代目は失敗することが多いし、跡を継ぐのを嫌がって違う仕事を選ぶケースが少なくない。

 

ある日の我が家の食卓で、17歳になる三男と父親(私)の会話である。

三男「今日学校で先生がエディプスコンプレックスという話をしてくれたよ。お父さん知っている?」

私「勿論、知っているよ。父親に対する息子の劣等感だろう」

三男「そうだよ、オイディプスというエジプトの王子が父親の王様を殺して、母親と結婚する話だよ。それから転じて、父親を精神的に乗り越えることが出来ないと、一生エディプスコンプレックスを持つことになり、自己肯定感を持つことが難しくなるらしいよ」

私「へえー、そんなことを教えてくれる先生がいるんだ。それはいい先生だ。だから、非の打ちどころがない完璧な人格を持ち、誰からも尊敬され名声も地位もある父親だと、子どもは父親を乗り越えることが出来ずに、一生苦しむことになるんだよ」

三男「そうそう、そんなことを先生も言っていた。だから、立派過ぎる父親だと乗り越えるのに苦労するらしいよ」

私「そうなんだよ、お前がお父さんを乗り越えるのに苦労すると思い、完璧な親ではなくて、わざといい加減で駄目な父親を時々演じてあげているんだよ。時々、酔っ払ったふりして、どうしようもないなと思えるような親を見せているんだからね」

三男「そんな無駄なこと必要ないよ。僕はとっくにお父さんを乗り越えているよ。僕はお父さんの遥かに上を行ってるからね。もう駄目な親を見せなくてもいいんだよ」

私「えっ、・・・・・」

妻「そりゃ、息子のほうが一枚も二枚も上だね、確かにあんたのほうが負けてるよ」そう言って、他の息子たちと大笑い。私はショックで何も言えず苦笑い。

 

偉大で完璧な親を乗り越えられないことにより、すべての自己否定感が生まれる訳ではない。他にも自己否定感が生じる様々な原因がある。しかし、このエディプスコンプレックスはやっかいなものであり、実際にこのコンプレックスをずっと持ち続けるが故に、自分に自信がなくなり、苦難困難に立ち向かうチャレンジ精神を持てなくなり、逃避性の性格を持ち続けるケースがある。また、依存性のパーソナリティが強く残ってしまい、自立が阻害される例も多い。つまり、不登校や引きこもりに陥るケースが少なくないのである。社会的地位や名声を持ち、立派な学歴や教養を持つ親は注意が必要であろう。

非の打ちどころがなく完璧で立派な親の後ろ姿を見せるのは構わないが、時々は弱くてどうしようもない人間臭い親の姿を、子どもに見せることも必要ではないかと思う。そうすれば、子どもは安心して親から自立して羽ばたいていくに違いない。そのためには、深い親子の触れ合いが大切である。子どもが寝てしまった後に深夜帰宅して、休日にも出勤してしまうような親は留意しなければならない。または、単身赴任の親も要注意だ。時には、親子でじっくりと時間を共有して、弱くて駄目な人間や子どもじみた親を演じるのも必要なのではないだろうか。完璧な親を演じるのだけは止めようではないか。

みんなの学校を創ろう

「みんなの学校」は、本来あるべき理想の教育を実践している場所だ。そんな確信をさせてくれる珠玉の映画であった。ふとした縁からこの映画が会津若松市で上映されることを知り、早速申し込んで事務局の方に何とか定員の中に入れてもらい、鑑賞させてもらった。予想していた内容ではあったが、その予想を上回る感動を与えてくる秀作だった。どんな名演技の俳優が演じたフィクションよりも、実在の人物がリアルに織りなすドラマは感激させてくれる。出演しているのは、大阪市立大空小学校に実在する児童と教職員たちなのだ。実に素晴らしい感動のドキュメンタリー映画である。

日本国憲法では、基本的人権の中で教育を受ける権利が保障されている。誰でも平等に教育を受ける機会が与えられている。ところが、障がいを持つ子どもたちは、普通学校の普通学級に行きたいと希望しても、何らかの理由で適えられないケースが殆どである。たとえ普通学級に入ることが出来たとしても、心無い同級生や教師の対応次第で学校に行けなくなることも少なくない。ところが、この大空小学校は障がいを持った子もそうでない子もすべて一緒に同じ学級で学ぶのである。

この学校の目標は、不登校を無くすことである。新任して2年目の講師が担任している子どもがある日登校しなくて、親の携帯と繋がらないケースが起きた。どうして良いか解らずおろおろするその先生に、木村泰子校長はこのように諭す。残された学級の授業は私でも出来るが、その子の対応をするのはあなたしかいないと。すぐにその新米担任は、自転車でその家庭に子どもを迎えに行った。不登校をさせない為に、教師たちは最大限の努力をするのである。先生たちは常に子どもの立場で考え行動する。だからこの学校は不登校ゼロなのである。

この大空学校では、発達障害、知的障害、自閉症スペクトラムなどの子どもたちが他の子どもたちと一緒に学んでいる。他の学校で不登校になった児童も、住所地を変更してまでして転校してくる。そして、子どもたちはお互いに支え合いながら共に学ぶ。先生たちもお互いに協力し合う。地域のボランティアの支えもある。この学校では、他の学校では既になくなってしまった豊かな『関係性』がしっかりと根付いている。先生どうしもチームを組んでお互いに助け合い支え合う。子どもどうしの関係性をしっかりと築いているから、いじめも不登校もないのである。

こんなエピソードが描かれている。くだんの新米担任の先生が、子どもを大声で怒鳴りつけていた。それを見ていた木村校長が、その教師を呼びつける。木村校長は部下の先生を頭ごなしに厳しく指導することはしない。子どもに対しての指導もそうだが、必ず質問をするのである。その先生にこう質問する。大声で子どもを指導していたが、あれは教育の一環として冷静に演技したのか、それとも怒りの感情で興奮したのかと問う。教師は怒りに任せてしたことだと正直に答える。もし、それで子どもがいたく傷ついて、窓から飛び降りたらどうするのか、そんなことも考えられず怒りを抑えられないなら教師不適格だからいますぐ辞めなさいと言い放つ。勿論、木村校長は反省して子どもに謝った先生を許すのである。

このように木村泰子校長は、常に子どもが中心の教育を志して行動している。故に先生への対応も厳しくなるが、愛情溢れる指導だから絶大な信頼を得ている。子どもたちもどうにもならなくなったら木村校長を頼ってくる。通常の学校長はマネージャー、つまり管理者である。しかし、木村校長はリーダーである。それも理想のチームリーダーだ。けっして高圧的でもないし独善的でもない。校長を加えたチームはいつも皆で相談しながら進むべき方向性を確認している。他の学校では、担任の学級運営に対して口を出さないのが暗黙のルールである。しかし、大空小学校では担任で手に負えなくなったら、他の先生たちに助けを求め、そして快く協力するし助け合う。

この学校では、絶対に守らなければならないルールがひとつだけある。それは『自分がされていやなことは人にしない 言わない』である。そのルールを破った子どもは校長室に行ってやり直しを約束するのである。大空学校では、このルールを子どもたちも教職員も常に守っている。だから、いじめやパワハラもないし、不登校もないのである。不登校が起きるひとつの要因は、子どもたちや教師による心無い言動が子どもの心を傷つけ、学校からそして教室から居場所を奪うからだ。このルールを徹底することで安心できる居場所が確保できるのだ。大空小学校は、快適な居場所をみんなが努力して作り上げているから不登校がないのである。

大空小学校では、障がいを持った子どもたちを、そうでない子どもが自ら進んで温かい心で支援する。そして、このような支援や助け合いをすることが、自分の喜びとなり自分自身を認め誉めることに繋がり、自己肯定感を育てることになる。そして、何よりも重要な価値観として、つながりや絆の大切さを学ぶことになる。さらに、人間の多様性を受け入れて、共生ということの大切さを実感するのである。みんなが大きな自己成長を遂げる。そして教師もまた同じように、深い自己啓発が生まれる。さらには障がいを持った子たちも、認められ評価され誉められて大きく育つ。まさしく大空小学校は教育の場でなく、『共育』の場なのである。大空小学校のような「みんなの学校」をもっとたくさん創れば、学校で起きている不登校、いじめ、指導死などの諸問題は起きる筈もない。すべての学校が「みんなの学校」になることを目指して、これからも活動していくことを心に誓った。

コレステロールを薬で下げるのは危険!

コレステロールというと、動脈硬化の原因物質だとして、健康を害する悪者として取り扱われている。高コレステロールの状態が続くと、虚血性心疾患になりやすいし、脳血管障害になりやすいと言われている。だから日本では、予防の為にメタボ検診が行われていて、高コレステロール血症の人は、コレステロールを下げる薬剤が投与されて、コレステロールを下げる治療が行われる。したがって、日本人ではコレステロールが悪者という観念が強く、特にLDLコレステロールは悪玉コレステロールと呼ばれ、嫌われ者として扱われている。

ところが、欧米人と比較すると日本人の認知症患者が何倍も多いことが判明し、その原因を探っていったところ、コレステロールを投薬によって下げ過ぎたことが原因だと突き止めたというのである。米国ではコレステロールを投薬で下げると、アルツハイマーになる人が激増したらしい。それで投薬するのを止めたという。さらに、ヨーロッパでは寝たきりになっている老人は殆どいないのに、日本人の高齢者ではかなりの高率で寝たきり老人が多いが、これもコレステロールを低くしたことが原因らしいと分かった。さらに言うと、日本人のうつ病が多いのもコレステロールが低くしたせいだというのである。いやはや、コレステロールは悪者どこか、健康を保つために大切なものではないか。

コレステロールには、HDLコレステロールとLDLコレステロールがある。HDLコレステロールは動脈硬化を防ぐから善玉と呼ばれ、一方LDLコレステロールが増えると動脈硬化になりやすいので悪玉と呼ばれている。しかし、最近の医学研究によると、LDLコレステロールが下がり過ぎると、うつ病になりやすいということが解ったのである。また、コレステロールを投薬で下げると、糖尿病になる確率が1.7倍になることも判明した。さらには、LDLコレステロールが高い人のほうが統計上長生きすることも解ってきた。そして、LDLコレステロールを下げても、心筋梗塞や脳血管疾患のリスクは減らないことも統計上明らかになったのである。

それでは何故LDLコレステロールを下げるとうつ病になりやすいかというと、セロトニンというホルモンが関係している。ご存知のようにセロトニン不足がうつ病の主要因である。LDLコレステロールは、セロトニンの受容体の細胞膜を作るという重要な働きをしている。LDLコレステロールが不足すると、セロトニンが豊富に存在しても、それを受け取って活用することが出来なくなる。だから、気分障害や不安障害が起きやすくなり、それが不眠を誘発し、重症化してうつ病になるらしい。欧米人と比較して、日本人の中高年に異常にうつ病が多いのは、コレステロールを投薬で無理に下げているせいかもしれない。

最近、数人の中高年のご婦人がコレステロールを低下させる薬を飲んでいて、何となく違和感を覚えているというので詳しく聞き取りを行った。共通している症状が、甘いものが異常に欲しくなり、ご飯を沢山食べたくなっているというのである。間食も猛烈に食べたくなるらしい。さらに、何となく不安な気持になり、不定愁訴の症状を呈しているというのである。更年期の症状かと思い、仕方ないと本人は諦めているが、これはもしかするとコレステロール降下剤の副反応ではないだろうか。人間には恒常性(ホメオスタシス)があり、女性ホルモンが少なくなるとコレステロールを増やして代用しようと働く。だから必要なコレステロールが不足すると、自然と糖分を身体が欲するのである。これではコレステロール降下剤を飲むと、糖尿病になるのは当然である。

女性は更年期になると、女性ホルモン量が低下する。女性ホルモンは免疫を高める働きもあるので、コレステロールをその代用として用いる。したがってコレステロールを自然と増やすのである。だから、中高年女性のコレステロール値が高くなるのは当然であり、むやみに投薬で下げると様々な障害が起きる。下がったコレステロール量を増やすため、無意識で過剰な糖分摂取をする。肥満と糖尿病になるのは当たり前である。コレステロール不足になり、セロトニンが取り込まれずうつ病になる。免疫力が下がり、ガンなどの重病を発症して長生きできない。コレステロールの降下剤を飲むのは慎重になるべきである。特に中高年の女性は熟慮が必要だと言える。

 

※イスキアの郷しらかわでは、様々な不定愁訴の相談を受けています。イスキアの食事は科学的にみても健康を取り戻すのに有効な、理に適ったものです。不定愁訴が何故起きるのかを含めて、どうしたらよくなるのか健康的な食事をしながら、一緒に考えてみませんか。心身の健康相談も含めて、問い合わせフォームから申し込みください。

エラー: コンタクトフォームが見つかりません。

若さを保つ秘訣は「骨」

人体神秘の巨大ネットワークというNHKスペシャルを見ていて、びっくりした。老化を制御する働きを骨がしていることが判明したというのだ。骨は、老化をさせるか、それとも老化を防止するのかのキーマンだというのである。そんな馬鹿なと思うであろうが、最新医学はそんなことまで解明しつつあるということである。勿論、老化の原因は他にもあるが、骨がその重要なファクターとなっているとは誰も気づいていなかったが、骨に存在する骨細胞が、老化の鍵を握っていることが判明したのである。

まず骨は、記憶力の向上や低下に関係しているという。骨の細胞から出るオステオカルシンというホルモンが血液によって脳の海馬まで運ばれて、海馬を刺激する。そうすると海馬の働きが活性化するだけでなく、海馬の細胞も増加して大きくなるという。反対にオステオカルシンが分泌されないと、海馬の働きは衰え、海馬の体積も縮小するという。極端に海馬が委縮すると、認知症にもなりやすい。つまり、骨細胞が脳の老化をさせるかどうかを決めるというのである。何とも怖ろしい事実である。

さらに、骨細胞から分泌されるオステオポンチンというホルモンが、人体の各組織に送られて、免疫力を高めるのに役立っているというのだ。オステオポンチンが不足すると免疫力が低下して、ガンや生活習慣病、または重篤な感染症を引き起こすのである。それだけではない、オステオカルシンが筋肉組織に届くと、筋肉組織の細胞を増加させて、筋力アップにも寄与するらしい。さらに驚くのは、オステオカルシンが精巣に届くと、なんとテストステロンというホルモンを活性化させ、精子の生産力を向上させるというのである。こんなにも骨細胞が、人体の老化と若返りに関係しているという事実が解ったというのである。

どうして骨が人体の老化に関係しているのかというと、どうやら骨の状況によって寿命を延ばすかどうかをコントロールしているのではないかと見られる。どういうことかというと、骨の密度が低下してスカスカの状況になってくると、もう無理して長生きさせる必要がないと記憶力や免疫力を下げるのかもしれない。さらには、筋力も低下させてしまうし精力も必要ないと判断するとみられる。骨の状態から判断して、少しずつ老化させて死にむかって進ませるのではないかと推察できる。ある意味恐怖というか、残酷なシステムとも言える。

その際、オステオカルシンやオステオポンチンというホルモンを出す骨芽細胞を増やすかどうかをコントロールするのが、スクレロスチンというホルモンらしい。このスクレロスチンが骨細胞を作るかどうかのアクセル役とブレーキ役を果たしているという。スクレロスチンが多いと破骨細胞が多くなり骨芽細胞が減少する。逆にスクレロスチンが少ないと破骨細胞が少なくなり骨芽細胞が増加する。つまり、スクレロスチンが少ないと骨細胞が増えるし、スクレロスチンが多くなると骨細胞が少なくなる。

ということは、スクレロスチンというホルモンを少なくすれば、骨細胞を増やして老化を防げるということである。もし、スクレロスチンを減少させることが出来たら、若返りすることも可能になるのである。このスクレロスチンをどうしたら減少させることが出来るのかを研究したら、運動することでそれが可能になるということが判明した。その運動も、骨に対してショックを与えるような運動こそ効果が高いということが解った。つまり、歩く、走る、ジャンプする等、骨に対して負荷をかけることで、スクレロスチンが少なくなることが判明したのである。

どんなスポーツをすると効果があるかというと、ジャンプをするといえばバレーボールやバスケットボールが代表的であり、陸上競技も同様である。走って急停止するテニスやランニングも効果がある。高齢者はこんな激しいスポーツは出来ないから、軽登山、ハイキング、散歩でもよい。ただし、階段や急坂を下る時に骨に負荷がかかるのが良いので、平らな処を歩いても効果は少ない。高齢者が骨折して寝たきりになると、急激に老化するのはこのスクレロスチンが増加するからであろう。寝たきりにならないように注意すると共に、ある程度骨に負荷のかかる運動を継続して、若さを保ちたいものである。

高僧徳一と仏都会津(2)

会津に仏教を広く布教した高僧徳一という人物について触れてみたい。彼は、当時の仏教界においては、非常に著名な学僧であり、実力もあり影響力も高い僧であったらしい。法相宗の中でも、理論派として名声があったのではないかと見られる。当時の奈良仏教界では、法相宗、華厳宗、法華宗、律宗などの古い仏教宗派が実権を握っていたと推測される。政治の権力者とも結びついていて、利権や権益にしがみつき、仏教により広く人々を救済するという本来の使命を忘れてしまい、贅沢な暮らしをして堕落していたらしい。そんな奈良仏教に幻滅して、新たな布教の地を求めて会津にやってきたのであろう。

高僧徳一がどれほどすごい人物だったかというと、天台宗の伝教大師最澄との論争をしたとの記録である。実際に論争を繰り広げたのではなく、お互いに仏教の解説書を書くことでのやり取りだったという。仏教における衆生の成仏が誰でも出来るのか、それとも限られた人しか出来ないのかという論争だったと伝えられる。それにしても、高僧徳一は最澄と堂々と仏教論で渡り合ったという。さらに、高僧徳一は最澄だけでなく真言宗の弘法大師空海にも論争を挑んだ。空海はそんな挑発にはさすがに乗ることなく、大人の対応をして上手くそらしたようである。

浄土真宗の親鸞の教えは、悪人正機説に代表されるように誰でも成仏できるというものである。法華経を根本経典として仰ぐ天台宗の最澄も同じく、誰でも成仏できるという考え方であった。これは一乗説と呼ばれている。高僧徳一は三乗説を取っていて、誰でも成仏できるというのは幻想であり、やはりそれなりの元になる人間性の基礎がないと仏性を得ることが出来ないし悟れないのだとする考え方だったという。どちらが正しいかは別にして、徳一和尚は奈良仏教の退廃ぶりと会津人の素晴らしい人間性を実感して、基礎となる人間の根本となる高い価値観がないと、仏性を得ることは出来ないと思ったのではなかろうか。だから、会津を布教の地と選んだのであろう。

そんなにすごい高僧徳一は、会津に衣一枚というみすぼらしい姿でやってくる。なにしろ僧侶が贅沢な暮らしをしてはならないという考え方であり、衣服や住居も最低限のものでよいという暮らしぶりだったようである。そんな余裕のお金があれば、仏教の布教のために使用するべきだという考え方を徹底したようである。現在の僧侶たちに爪の垢でも煎じて飲まして上げたいものである。日本で仏教が廃れた一因がこのへんにもありそうだ。そして、仏の教えで人々を救うために、会津一円から始めて東北全体に仏教を広めていったと伝えられる。

その仏教を広めるにあたり、人々の信仰心をゆり起こすために、お薬師さまの教えを活用したらしい。お薬師さまというのは、ご存知のように薬師如来を指す。薬師如来というのは、左手に薬壺を持つ仏像であるから誰でも認識できる。苦しんでいる衆生をその万能の薬により、お救いする仏像として有名だ。ただお救いするだけでなく、自分でも仏性(ぶっしょう)を発揮できるように、日々努力しなさいよと温かく励ましてもくれる仏像でもある。さらに、社会的悪や人間の中に存在する鬼も懲らしめてくれる、頼りになる存在なのだ。そんな薬師信仰は東北各地に広がり、多くの素晴らしい薬師如来像をもたらしてくれたのである。

会津に多くの寺院や仏像を残してくれた徳一和尚の功績は大きい。その代表格は、一時期壮大な寺院群を形成したと言われるのが、現在の磐梯町にあった慧日寺(えにちじ)と呼ばれるお寺である。その慧日寺は衰退して、見る影もなくなってしまった。しかしながら、その慧日寺跡に金堂が10年前に再建され、さらには中門も再現されたのである。往時の慧日寺の隆盛を偲ぶことができる。また、徳一和尚が建立したと言われる柳津町の虚空蔵様と呼ばれる圓蔵寺には今も多くの参拝客が訪れて賑わっている。高僧徳一ゆかりの会津のお寺や寺跡、そして仏像を訪ねてみてはどうだろうか。

 

※イスキアの郷しらかわを利用される方々で、会津の寺社や仏像を訪ねてみたいという方には、同行してガイドもいたします。お寺の縁起や仏像のこと、さらには徳一和尚のことなどを詳しくご説明いたします。仏像は見る人の心象を映す鏡とも伝えられ、「それでいいんだよ」と優しく語りかけてくれるとも言われています。疲れて傷ついた心を癒すには、仏像巡りもお勧めできます。

高僧徳一と仏都会津(1)

仏都会津と呼ばれるほど、会津には素晴らしい仏像が多い。何故かというと、古刹名刹が多いからである。福島県内の他の地域に比して、その数は特に多い。それは、天台宗の最澄と並び称される名僧徳一(とくいつ)の功績によるものだ。奈良仏教の退廃ぶりを嘆き、東北地方に理想の仏教を広めようと、会津にやってきたという。彼の布教活動は、会津一円に留まらず、県内は勿論、宮城県や茨城県などにも及んでいる。慧日寺(えにちじ)という、今は無き壮大な寺院を足がかりにして、会津盆地に数多の寺を建立した。それらの寺に配置されたご本尊の仏像の数々が、今に残されているのであろう。

とみに著名な仏像は、湯川村勝常寺(しょうじょうじ)の国宝薬師如来三尊像である。両側に日光菩薩と月光菩薩を従えた薬師如来坐像は、その堂々とした威容を誇る。その鋭い目は、煩悩を射すくめるような眼差しをしていて、見る者を畏怖させる。この寺には、徳一和尚の坐像も現存している。ラーメンや蔵の街として著名な喜多方市には、国指定の重要文化財、願成寺(がんじょうじ)の阿弥陀三尊像がある。この阿弥陀如来は、会津大仏として地域の人々に親しまれている。両脇侍の観音菩薩と勢至菩薩も立派である。下の写真がそれであるが、光背には無数の仏像が彫られていて実に見事である。

会津坂下町には、上宇内の薬師如来像と立木観音と呼ばれる千手観音像がある。どちらも著名な仏像である。上宇内の薬師如来像は、勝常寺のそれと違い優しい眼差しをしている。立木観音は、その名の通り、生えたままの立ち木をそのまま彫り上げた仏像で、今でも根っ子はそのままだという。高さ8メートルの巨大な仏像は、人々の心の拠り所として崇められてきたのであろう。他にも、中田観音や鳥追い観音と呼ばれる『ころり三観音』等多くの仏像がある。休日にこうした仏像巡りもいいものである。

 

こんなにも素晴らしい仏像と寺社を残してくれた高僧徳一であるが、どうして仏教を布教する地として会津を選んだのであろうか。わざわざ辺境の地であった東北の田舎である会津に、こんなにもすごい高僧がやってきたのか不思議である。その当時、会津は東北の中でも文化がもっとも進んでいた地のひとつであったのは間違いなさそうである。だとしても、敢えて会津を選んだのは、違う理由があったと思われる。それは、仏教が間違いなくこの地で布教出来るという確信したからではないかと考えられる。

高僧徳一がそう思った根拠はなんであろうか。おそらく高僧徳一は、事前に会津人をリサーチしたと思われる。もしかすると、一度訪れていたのかもしれないし、そうでなければ会津の事情を詳しく知人に聞いていたと思われる。それで、会津の人々が仏教を快く受け入れてくれると確信したと思われる。仏教を受け入れて、その教えに深く帰依するかどうかは、受け入れる側の人間性に大きく影響される。さらに、仏教が広がるかどうかにもその地域の人々の人間性が問われると言われている。高僧徳一は、会津人こそ仏教を受け入れ広めてくれる人間性を持っていると判断したのであろう。

会津人は良い意味で頑固である。その頑固さというのは、新しいものを受け入れないとか古い価値観にしがみつくという頑固さではなく、あくまでも人間としてあるべき正義や忠義を忘れないというこだわりである。そして、自らの利益や権利に固執する頑固さではなく、自分は犠牲にしても人々の為、世の中の為に貢献するという価値観を大事にする頑固さでもある。まさに、これは縄文人の価値観であり、全体に貢献するという生き方である。会津人がまさに仏教を布教するに最適の地だと、高僧徳一は確信したに違いない。

残念ながら、現在の日本では既に仏教は廃れてしまっている。殆どの日本人は、仏教の国だと勘違いしているが、儀式仏教になっていて、仏教に帰依している日本人はごく少数である。世界の中で、仏教の国だと言えるのはごく僅かしかない。仏教発祥の地であるインドに仏教徒はごく僅かしかいないし、中国では仏教が否定されている。朝鮮半島にも、仏教は残っていない。スリランカ、ミャンマー、ヴェトナム、タイぐらいしか仏教の国はなくなってしまった。何故、それらの国に仏教が残っているのかというと、それらの国民が仏教の教えを受け入れる高い価値観を持っているからであろう。会津を選んだ徳一の確かな洞察力と先見性に感謝したい。【続く】

剪定作業で気付いたこと

イスキアの郷(農家民宿)で樹木剪定作業をさせてもらった。我が家の庭にある樹木は、適当に剪定した経験はある。ベニカナメや百日紅などの庭木を見様見真似で剪定してきた。ところが、農家の果樹などの剪定は今まで実施したことがなかったのに、いきなりやってみたらと言われて実施したのだ。人間としては適当な性格ながら、適当に剪定していいからと言われても、なかなか思い切って切れないものである。50センチから60センチの新芽を持っている枝を残して切っていいとの指示でやってみたが、これが難しいのである。

何故なら、あまりにも枝が混んでいる処は、日光が通りやすいように何本かを残して切る必要もある。どの枝を残して、どの枝を太い枝から伸びている根元からばっさり切るのか、迷ってしまうものだ。思い切って切断しようと思いながら、一度切ってしまえば元に戻せないから、いざとなると逡巡してしまう自分がいる。やはり、このような樹木剪定作業というのは、熟練を要するものだ。少なくても数年の経験をしてからするものであろう。素人に手に負えるものではない。

とは言いながら、依頼するほうも心得たものである。失敗してもいいような樹木だけを指定したようである。先ずは、梅である。『桜切るバカ、梅切らぬバカ』と言われるように、梅はどんなに切っても問題ないみたいである。ということで、梅の何本かを切るように指示された。さらに、すももの樹も依頼された。たぶん、この種類の樹木ならば、失敗しても大丈夫だろうと主人が依頼したんだろうと思って、安心して剪定作業を実施した。

最初は、おどおどしながら、そろそろと切っていたが、そのうちに少し大胆になり、切り方も様になってきたようだ。そして、終了する頃にはなんとか剪定のコツも呑み込めてきた。しかも、剪定作業そのものが楽しくなってきたのである。来年になって樹木の果実が見事に実るかどうかが、自分の手に託されているのである。人間と言うのは、責任を持たされる仕事をさせられることに喜びを感じるものらしい。どうでもいいような仕事、そして誰にでも出来る仕事には大きな喜びを感じないしやりがいも持てない。農作業というのは、収穫の量と質に直接関わる重要な仕事だからこそ楽しいのだ。

剪定作業をしながら気付いたことがいくつかある。先ずは、要らない枝と必要な枝があり、その選択をすることが難しいということ。そして、その不要な枝を思い切って切断しないと、良い枝が育たないということ。さらに、どんなに育てようとしても育たない枝は、残してはならないということ。枝が密生してしまうと太陽の光が十分に、それぞれの葉に届かず良い果実が実らないという事実。何だか、会社のマネジメントみたいである。駄目な部門やどうしようもない社員は思い切ってリストラしないと、良い果実(成果)は実らないということと重なる。

樹木というのは、何故もこんなにも不要な枝を芽生えさせるのだろうか。もしかすると、樹木そのものにとっては必要な枝なのかもしれない。良い果実だけを求める人間の都合で切られてしまっているのかもしれない。そうではなくて、果樹というのは人間の手によって切られることを初めから想定していて、新芽を伸ばすのかもしれない。人間がちゃんと切るのかを、樹木が試しているのかもしれないなあなんてことを思いながら剪定作業を進めた。

剪定作業でひとつだけ確かなことを学んだ気がする。樹木と人間というのは似ているということである。人間は生きているうちに、少しずつ余計なものを蓄える。本来は生きる上で必要のないものというか、逆に生きる上で邪魔になるものである。変なこだわりや思い込み、または身勝手な心や我儘な気持である。自分さえよければいいというような低い価値観もそうである。そういう不浄なものが溜まりに溜まった時に、不都合なことや病気とか事故に見舞われるのである。そして、どん底に落とされて、初めて自分を振り返り、不要なものを切り落とさざるをえなくなる。そうしないと生きていけないからである。まるで樹木に生えた不要な枝のようではないか。誰かに切り落とされるまで待たないで、人間なのだから自ら切り落としたいものである。そんな気付きを剪定作業から学ばせてもらった。

 

※イスキアの郷しらかわでは、いろいろな農作業の体験ができます。癒しを求めていらっしゃる方も、そして元気な方でも、皆さん体験することが可能です。問い合わせフォームからご相談ください。体験料は無料ですが、お昼代だけをご負担いただきます。(2,000円~2,500円)

エラー: コンタクトフォームが見つかりません。

 

旭日昇天よりも雲外蒼天

NHKTVで放映された「みをつくし料理帖」という時代劇で、旭日昇天と雲外蒼天という言葉が出てきた。これまで聞いたことがなかったこともあり、非常に興味を抱いた。ドラマの中では、こんな意味として使われていた。主人公が幼少の頃、ある人相見の達人に、その女の子と幼友達がこんなことを言われる。幼友達は、成人したら大成功を収める相を持つ人相をしている。これは、滅多にない旭日昇天(きょくじつしょうてん)の相だと言うのである。朝日が天に昇るがごとく、何の障害なく順調に天下に誇るような人物になるというのである。

一方、主人公の女の子は雲外蒼天(うんがいそうてん)の相があると言われる。この相を持つ人物は、雲の隙間から青い天が望むがごとく、様々な苦難困難に出遭うものの、それらの障害を乗り切り成功を収めることが出来ると言われるのである。実際には、幼馴染は廓(くるわ)に売られるのであるが、持って生まれた器量でめきめき出世して、押しも押されもせぬ当代一の花魁(おいらん)になるのである。主人公は、何度もひどい目に遭いながらもその度に乗り越えて、江戸で有数の料理人として大成するのである。

この人相を見る達人は、確かに人相を見る目はあったということになる。ただし、幸福度という点ではどうだろうか。主人公は何度も苦難困難に出遭う度に、一回りも二回りも成長したのである。そして、苦労の末にようやく掴んだ成功であるから、喜びは人一倍である。何にも苦労せず、持ち前の美貌だけで吉原随一の花魁になったのでは、幸福感はそんなに多くはないだろう。幸福感という点では、苦労をしてきた主人公のほうに分があると言えよう。

実際の世界においては、旭日昇天の人物はそんなに多くない筈である。多くの我々凡人は、雲外蒼天であろう。そして、様々な苦難困難を経験する。それらの苦難困難に逃げずに立ち向かい、そして乗り越えて「艱難汝を玉にす」の諺のように、人間としての立派な成長が可能になるのである。この社会で大成した人間、または人間として立派な人は、苦労をした人である。親の七光りでたいして苦労もせず成長した人間のなんと薄っぺらな事であるか。または、恵まれた境遇に生まれて、たいした苦労もせずに一流大学を出て高級官僚になった人物は、自分でも苦労したことないから、人の苦労にもそ知らぬ顔をする。

人間として大成する二つのプロセスがあるとすれば、望んで出来るのならば間違いなく旭日昇天ではなくて雲外蒼天の生き方をしたほうが良いと思われる。今度NHKTVの大河ドラマで描かれる西郷隆盛は、間違いなく雲外蒼天であろう。下級武士の家系に生まれながら、何度も挫折をしながらも乗り越えて、後に南洲翁と呼ばれるように誰からも尊敬される大人物となる。苦難困難に見舞われなければ、同じような地位に就いたとしても、あのような素晴らしい人間性を持てたかどうかは解らない。

西郷隆盛は後に南洲翁と呼ばれ、南洲翁遺訓と呼ばれる書物に彼の残した言葉が残っている。彼は、苦労して作り上げた明治政府の要職を自ら捨てて、野に下る。時の明治天皇が一番信頼し頼りにしていたのは、西郷隆盛であった。しかし、あまりにも腐敗して私利私欲に走る明治政府の政治家たちに愛想を尽かしたのではないだろうか。山形有朋や伊藤博文などの長州出身の政治家たちは、私腹を肥やし、妾を政府の要職につけるような出鱈目な政治をしていた。南洲翁遺訓では、『ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された』と記されている。

また、南洲翁遺訓では弱者に対する思いやりを説いていて、自分を愛するように他人を愛するような政治をすることが肝要であるとも説いている。小さな政府にして、税金を少なくすることで国力を上げることが出来るとも主張している。無駄な軍備を持つなとも説いている。現代の政治家は真逆である。このように自分を厳しく律し、常に国民の福祉や幸福のことを考えた西郷隆盛は、理想の政治家でもあった。現在の二世議員である政治家たちは、おそらく旭日昇天の育ち方をしたのであるまいか。西郷隆盛が傑出した政治家として大成したのは、雲外蒼天の育ち方をしたからに違いない。今度から選挙で政治家を選ぶときには、旭日昇天の政治家ではなくて雲外蒼天の政治家を選びたい。