貪欲な生き方は身を破滅させる

個性派俳優で人気のあった新井容疑者が暴行の容疑で逮捕されたニュースは、実に衝撃だった。どこか陰のある脇役がとても似合う、根強いファンのいる渋い俳優であったが、とんでもないことをしたものだ。被害に遭われた女性が実に気の毒であり、暴力や恐怖感を用いて相手を自分の思うままに弄ぶなんて、絶対に許せない行為である。彼の心無い行為によって、多くの作品が放映や上映が出来なくなり、多大な迷惑と損失を与えている。目先の欲望に押し流されたというような弁明で、許されるような行為じゃない。

自宅にセラピストを派遣する、癒し系のサービスをする店があるということにもびっくりした。いくら性的サービスはしないと謳い、性的な行為はしないという確約書を書いたとしても、自宅という密室に異性どうしが二人きりになるのだからリスクは高いだろう。ましてや、身体に直接触れるのだから、性的欲望が高まるだろうとの予測は誰でも可能だ。以前に新井容疑者にサービスをした女性は、インタビューで彼から股間のマッサージを要求されたと答えている。おそらく利用料金は1回20,000円を超えていたであろう。この驚くような高料金も、過剰サービスを求めることに繋がったのではなかろうか。

お店におけるサービスでなく、あえて自宅というリラックスできる場所でセラピーを受ける意味はあると思われる。これだけの高ストレス社会だから、ストレス解消の為に自宅でセラピーを受けたいと思う人も多いに違いない。女性を派遣するサービスではなくて、男性をセラピストにして派遣するなら理解できる。それなら危険性は低くなるし、事故が起きることは限りなく少なると想像できる。それを、男性のお客に対して、あえて若い女性を派遣して、法外な料金を設定してビジネスに利用するというのは如何なものだろうか。こういうビジネスをする経営者の見識を疑いたいし、事件を起こした責任も問われる。

勿論、このような事件を起こした最大の責任は新井容疑者にあるのは間違いない。いくら欲望をそそられるシチュエーションだったとしても、踏みとどまる理性をなくしてはならない。どうして、こんな破廉恥な行為をしてしまったのかというと、彼が欲望を押さえつけることが出来る確かな理性を持っていなかったと言える。それは新井容疑者の価値観にも問題があるだろうし、普段の生活態度にも影響を受けていると推測される。酒に酔っていての犯行らしいが、お酒に溺れるなんて最低の人間である。

よく酒に溺れて身を崩す、または酒の勢いで愚行をしでかした、などということを聞き及ぶことが多い。酒さえ飲まなかったら良い人間なのに、という評価をされる人間がいる。普段はおとなしいのに、酒を飲むと人間が変わって暴れる人間がいる。しかし、脳科学的に検証すると、それは間違いである。お酒によって人格が変わるのではなく、元々持っていた人格が、お酒によって現れるだけなのである。普段は抑え込んでいる本能が、お酒に酔って大脳辺縁系や前頭前野が麻痺することで抑えが効かなくなり、本来の欲望が顔を覗かせるのである。酒を飲まない時は、本来の醜い人格を隠しているだけなのだ。

このようなアルコールを飲酒しての事件、または覚せい剤・麻薬の使用事件を起こすような人間の日常の行動をよく観察してみると、タバコを吸う、過剰飲酒をする、ゲームに溺れる、ギャンブルをする、セックスにまみれる、というような行動を取っていることが多い。つまり、日常からして欲望に溺れてしまうような行動を取っているのである。新井容疑者もまた、このような行動を取りがちだったと報道されている。自分の欲望をしっかりと抑えきれず、煩悩の渦の中に埋没している感さえある人物こそが、人生を破滅させてしまうことが多いのは歴史が証明している。

何も聖人君子たれと言っている訳ではない。過度に欲望を貪るような生活を続けると、危ないぞと警告しているに過ぎない。糖分や栄養を摂り過ぎると糖尿病などの生活習慣病になるし、やがては脳血管障害や心臓血管障害を起こして寝たきりになる。過度の飲酒によって、アルコール依存症や肝臓疾患の危険性が高まる。なにしろ、普段から煩悩を抑えきれない生き方をしている人は、新井容疑者のように欲望に溺れてしまうし、とんでもない身の破滅を生むことになろう。けっして貪欲な日常生活を続けてはならないということを心に刻んで生きていきたいものである。

介護されない老後を目指す

介護施設において、短期間で多くの利用者が死傷する事件が起きている。それも、特定の男性介護職員が関わっているのではないかという疑惑に発展している。それにしても、介護施設では高齢者虐待や窃盗事件が多発するようになっている。介護施設で働く職員が過重労働の割に待遇も悪く、評価されないという特有の事情もあると言われているが、明らかになっていない虐待や殺人事件も他にもあるのではないかと想像されている。日本の介護制度に、大きな欠陥や制度設計のミスがあるから、こんな事件が起きるのだろう。

介護される対象者が増え過ぎてしまい、介護に携わる職員が絶対的に足りなくなってしまっているという問題がある。介護職員の定着率が非常に悪く、介護施設や介護組織を渡り歩く転職組が多いし、介護職から離職する人が少なくない。よく言われていることだが、あまりにも介護職員が足りないので、どんな人間でも採用してしまうことから、介護職員の質が低下しているという。介護という職業を自ら希望して選ぶのではなく、消極的な選択として介護職を選ぶしかない人間が多いと聞いている。日本の介護制度が根本的に間違っているから、こんなミスマッチが起きてしまっているに違いない。

そもそも、厚労省が介護保険制度を設計する際に、寝たきりになってしまう高齢者を皆無することが目標だった筈である。ましてや、介護施設で高齢者を介護させる為に介護保険制度を作ったのではなく、自宅で自らの老後を自分の力で健康で暮らすために作った制度である。施設で介護するのは、緊急避難的な措置として必要なケースだけだった筈だ。ところが、実際は本来介護されなくてもいい高齢者を自宅から施設へという流れが起きてしまった。それも、QOLが改善して自宅に帰る人は皆無で、亡くなって退所する人が殆どである。厚労省が予想した介護制度とは、まるっきり正反対になっている。

厚労省だけが悪い訳ではない。高齢者とその家族が、大きな誤解をしているからである。そんなふうに誤解させてしまった厚労省にも責任があるが、国民が勘違いしているのである。高齢者になってしまうと、何らかの障害を持ったり認知症になったりするのは、当然だと思い込んでいるのである。厚労省の役人だって、介護される高齢者、寝たきりの高齢者をゼロにするのは難しいと諦観さえしている。しかし、自分の生活を抜本的に見直せば、要介護や寝たきりになることは予防できるのである。

それでは、介護されない老後を目指すには、どんな生活をすれば良いかというと実に簡単である。まずは、食生活を抜本的に見直すことである。腸内細菌を健康にするような食事にすることが肝要である。出来る限り添加物、農薬、化学肥料の少ない野菜中心の食事にすると、腸内フローラが実現する。さらに、脂肪分、糖分、乳製品、牛肉や豚肉を控えると共に、バランスの良い食事を心がけることが求められる。過食もよくないし、インスタント食品やスナック菓子、ジャンクフードやファストフードを食べないようにするべきだ。

介護されない老後を実現するには、休養や運動などの生活習慣も大切である。特に良質な睡眠を取ることは、認知症予防や高齢者のメンタル障害を防ぐのに有効である。良好な睡眠には、昼間に太陽光を浴びて運動をするのが必要である。認知症を防ぐには、骨に負荷をかける運動が必要不可欠だ。骨に衝撃を加える運動を日常的に実施すると、骨粗しょう症を防止するだけでなく、認知症を予防し、筋肉増強もするし、免疫力を高めることが判明している。つまり、骨にとって少しハードな運動を続けることが寝たきりを予防するのだ。介護されない老後を続けるには、アウトドアのスポーツが最適である。

さらに、介護されず寝たきりにならない大事な予防策がある。それは、精神的なタフさであり、しなやかな心である。つまり、プレッシャーに打ち勝てる心と、ストレスを乗り越えることができる精神の柔軟性である。このような健全な精神性を発揮することが可能になるには、高齢者になってもボランティア活動や市民活動を心から楽しめる価値観を持つことである。他人の幸福を心から願うことが出来て、豊かな社会の実現に自らが進んで尽力できる精神性があれば、身体が健康で元気な老後を過ごせるのである。介護をされずに老後を生きることは、自分の努力次第なのだと認識するべきであろう。

すべての問題の根源は関係性にあり

社会生活を営んでいると、様々な問題に遭遇するのが常である。家庭内(家族)の問題、職場の問題、地域の問題、広くは国家や地球規模の問題、実に様々な問題が起きている。それらの問題は、我々の生活に大きな苦難困難をもたらすだけでなく、生活の基盤さえ揺るがすような影響さえ与え兼ねない。特に、家庭や職場の問題は、生活に密着しているから余計に深刻である。家族の問題は家庭全体を崩壊させることもあるし、職場の問題は収入に関わってくるから、問題を先送りすることが死活問題になることもある。

家庭の問題と言うと、夫婦や親子間における不仲や軋轢があげられる。または子どもの不登校やいじめ、ひきこもりなどの深刻な問題もある。家庭の問題がこじれてしまうと、離婚や家庭崩壊まで到達してしまうことも少なくない。職場での問題では、パワハラ、セクハラ、いじめ等などが表面化するケースがある。経営不振や経営破綻という問題は深刻である。最悪の場合、会社そのものが倒産して、収入が途絶えることにもなる。それぞれの問題が起きれば、問題の解決対応策が必要となるし、問題が起きない予防も大切だ。

家庭において、学校でのいじめ、不登校やひきこもりが起きると、その問題が起きた原因を追究する傾向がある。そして、そうなった原因は、学校、学友、教師、教委等にあると思いがちであろう。つまり、問題が起きた原因の少しは家庭内にあるものの、大きな原因は外にあると分析したがるものである。また、職場の問題が起きた時に、起きた原因はそれぞれの社員や管理職、特定の部門にあると分析評価し、原因をつぶす作業をすることになる。経営不振や経営破綻の原因は、外因にあると思うのが普通であろう。

家庭内の問題が起きた原因は、外因や特定の『個』にあると考えがちである。特に、不登校やひきこもりになったのは、そうなった当事者という『個』に問題があったからだと思いたくなるものである。職場の問題が起きるのも、特定の個人や部門という『個』に問題があったからだと思う人が殆どであろう。しかし、これは完全な間違いである。少しは『個』にも問題があったとしても、本当の原因は構成要素である『個』にはなく、個と個を結びつける『関係性』にこそ存在するのである。

家庭の問題が起きると、問題を起こしている当事者やその母親、または父親に原因があるのではないかと思いがちである。そのうえで、問題があるとされた人を変えようと周りは考えるし、自分でも変わろうとする。しかし、いくら問題があるとされた人が変わる努力を続けても、変わるように指導教育しても、問題は一向に解決しない。何故なら、家族個人だけの問題ではなく、家族間の関係性にこそ問題があるからである。家族間の関係性の希薄化や劣悪化によって問題が起きているのだから、問題が解決しないのは当然だ。

職場の問題も同様である。問題を起こす社員個人や問題があるとされた部門を改善しようとしていくら努力を続けても、問題は一向に解決されない。社員どうしの関係性や部門間の関係性に問題があるからだ。この関係性が悪化して、お互いの信頼関係や協力関係がなくなっていれば、問題は起こり続けるし、成果が上がらないのは当然だ。何故、関係性が悪いのかと言うと、各社員と各部門が全体最適でなく、個別最適を目指しているからである。お互いが競い合い争い合っていて、全社最適を忘れ自分最適を志向してしまうのだ。

家庭内において、家族全員の幸福や豊かさを目指すのが、家族としての本来の役割である。ところが、家族の関係性が悪くなると、自分だけの幸福や豊かさを優先してしまう。そして、お互いの気持ちに共感しようとせず、対話も喪失してしまう。家族という全体システムは、その構成要素であるそれぞれの家族がお互いに支え合うという豊かな関係性が根底に保証されていなければ、システムは機能しない。会社も同じである。だからこそ、関係性こそが問題が起きるすべての根源なのである。家庭でも、そして会社内でも問題が起きないようにするには、豊かで良好な関係性が必要である。そして、問題を解決するには、本来あるべき良好で豊かな関係性を取り戻せばよいのだ。そのためには、個別最適ではなくて常に全体最適を目指さなければならないのは言うまでもない。

仕事よりも育児を優先する父親

子どもを取るか、それとも仕事を取るかという二者択一を迫られたとしたら、親としてどちらを選ぶだろうか。母親ならば、よほどの事情がなければ殆どが仕事を犠牲にして、子どもを優先する選択をするに違いない。それだけ子どもに対する思いが強いし、母性愛というのは何よりも子どもを優先するものだ。ところが、父親というのはちょっと違うようだ。父親は一家の収入を支えるケースが多いし、仕事に対する責任を感じる傾向が強い。ましてや、男というのは仕事によってだけ自己実現するのだと、おおいなる勘違いしているからだ。

仕事に専念するあまり、妻にだけ子育てを任せてしまい、育児に対して積極的になれない父親は多い。そんな父親なら、育児のために仕事を犠牲にするなんて考えられないだろう。例えば、育児のために残業がない勤務部署・勤務体制・職制に自ら変更してもらうケースは殆どないであろう。ましてや、子育てを優先して転職するなんてことはないに違いない。子育と仕事のどちらかを優先するかという究極の選択をどうするかなんて、乱暴なことを言うつもりはないが、父親が仕事を優先するのは圧倒的に多い。

子育てを最優先にして仕事を犠牲にする父親なんていない筈だと思っている人は多い。しかし、世の中には仕事よりも子育てを大事にする行動をとる父親も皆無ではない。私自身も、実はそのひとりだ。大学卒業後から地元の農協が経営する医療機関に勤務していた。県内に6病院を設置経営していたが、経営の重要な部分を担っているのは事務職員である。各病院の院長人事さえも、事務職員が決めているのだから、実質的なトップ管理者と言えよう。県内でも有数の安定企業だから、人気があり待遇だって悪くなかった。

しかし、県内の各地域に6病院は点在していたし、本部は県庁所在地の福島市にあった。幹部候補の事務職員は3~4年に一度転勤をするのが常だった。当然、自分も15年間に転勤させられて4つの病院を経験した。子どもが小さいし、妻ひとりで育児するのも負担になるから、一緒に転勤転居した。子どもは転居する度に転校を強いられた。長男は、最期の転校の際に、「僕はもう2度と転校しないからね」と宣言した。せっかく出来た友達と別れるのが辛かったし、新しい学校や環境に慣れるのが大変だったと思われる。この言葉を聞いて、決心した。次の転勤からは、単身赴任をするしかないと。

ところが、単身赴任をするには問題があった。看護師をしている妻も仕事を続けたい希望があり、夜勤や休日出勤がある今の職場で、一人で子育てしながら仕事を続けるにはハードルが高過ぎる。ましてや、2歳、7歳、11歳の手のかかる3人の男の子をひとりで面倒見るのは不可能に近い。妻が仕事を辞めるという選択肢もあったが、仕事に生きがいを感じている妻に仕事を辞めろというのは酷だった。したがって、転勤のない職場に自分が転職するしか方法がなかったと言えよう。それで、いずれ定住するであろうと求めていた土地に家を建てて、地元の会社に転職することにしたのである。

正直に言うと、子どもの為に仕事を辞めるのは辛かった。ましてや、それまで在職した医療経営の組織では、誰よりも若くして係長になり課長に昇進していた。自分でも言うのもおこがましいが、将来が嘱望されていて、事務職のトップになるだろうと言われていた。それでも、敢えて退職して、転勤がなく残業も少ないビルメンの会社に転職することにした。給料などの待遇面でも低下したし、仕事内容もまったく違っていたから慣れるまで苦労した。でも、家族一緒に暮らせて、子どもたちの笑顔に包まれる生活を選んだことを少しも後悔していない。

それから15年後にもう一度転職した。これもある意味では、子どもの生活を守る為の転職だった。子どもが地元の行政職に就職していて、会社の仕事で大きな迷惑をかける危険があったからだ。子どものせいで親が職を失うのは仕方ないが、親の影響で子どもが職を失うなんて、絶対に許せないことだ。子どもの為だけとは言えないが、2度転職を経験している。子育てほど社会とって貴重で大切なことはない。将来の社会を担う子どもを育てられる喜びほど大きいものはない。単身赴任しなかったからこそ、度々あった子どもの不登校危機やいじめ事件、不適切指導事件にも自分で対処して乗り越えられた。単身赴任していたら、妻や子どもたちにどれほどの苦難困難を与えていたことだろう。お陰で、子どもたち3人は無事に大学を卒業して、行政職と教職に就いている。妻も、看護師を今も続けている。私自身は、家族の為に犠牲を強いられたとは思っていない。子育てによって、自分自身が大きな気付きと学びをさせてもらい、かけがえのない自己成長を遂げられたからだ。そんな素敵なギフトをくれた子どもたちに、おおいに感謝している。

※「イスキアの郷しらかわ」では、不登校、いじめ、教師による不適切指導等子育てに関する悩み・苦しみに対して、実体験を通した助言をしています。問題行動は何故起きるのか、どうしたら乗り越えられるのかを、実例を上げながらアドバイスをしています。問い合わせフォームからご相談ください。

いじめによる自殺を防ぐには

子どもが学校でいじめを受けて苦しんで、お母さまが親子無理心中をしてしまったという事件の報道がされている。お母さんは育児ノイローゼが原因で心中したのだとご近所の方たちが誤解しているのはたまらないと、お父さまがそうではないと否定するために記者会見を行ったという。お母さまは子どもからいじめの相談を受けて、何度も学校側と善処するよう交渉したが、いじめは一向に止まず、子どもはいじめられ続けたという。そんな状況に追い込まれて、やむにやまれず心中するしか方法がなかったらしい。

実に悲惨な出来事である。学校でのいじめにより子どもだけでなく母親の命までも奪ってしまうなんて、許せないことである。一方的な話だけなので学校の対応が適切だったかどうかは解らないが、心中するまで追い込まれてしまった母子を救うことができなかった教育関係者の責任は大きいだろう。結果だけを見れば、学校や教委の対応が問われるのは間違いない。このような悲しい出来事が起きる度に、いじめの撲滅が叫ばれて文科省を始めとした教育関係者は、各種の再発防止策を実行するのだが、効果は限定的でしかない。

いじめによる自殺は、一向になくならない現実がある。いじめの自殺を皆無にするには、この世からいじめを無くすことが必要である。しかし、文科省・教委・学校はいじめを完全に無くす手立てを考えつかないようだ。よって、場当たり的な対応をせざるを得ず、対症療法しか出来ないでいる。いじめが起きるそもそもの原因を無くすことが必要なのだが、いじめの本当の原因を掴めていない。文科省・教委・学校の現状そのものが原因のひとつなのだから、自浄能力の極めて低い教育関係者が抜本的解決策を取れるとは思わない。

このようないじめの自殺を防ぐ手立てはないのだろうか。完全にいじめを無くすには、抜本的な対策や解決法を見つけて実践したとしても、何年もかかるに違いない。とすれば、現在いじめを受けている子どもたちを緊急避難的に救う手立てを考えなければならない。それは、学校・教委・文科省に期待しても叶えられそうもない。となれば、保護者が子どもを救う役割を果たすしかないだろう。としても、今回母子が無理心中をしてしまったように、保護者がいじめによる自殺を完全に阻止するのは極めて難しいと思われる。

何故子どもを親が救うのが難しいかと言うと、まずは子どもがいじめの実態を打ち明けられないでいるケースが多いからである。いじめを親に打ち明けると、親の対処の仕方が悪いと、逆にいじめを巧妙に隠されてしまい、より過激になりやすいからである。または、いじめを親にチクった卑怯者としてさらに多くの学友から情けない人間だと蔑まれる怖れも感じるのであろう。さらには、大好きな親に心配をかけまいと我慢をするいじらしい子どもさえいる。何かあったら必ず親に素直に告げる、絶対的な信頼関係が必要であろう。

また、日頃から学校の様子を家庭内で話し合える環境づくりが必要である。心を開いて家族どうしが話し合う普段からの親しい関係性が求められる。特に大切なのは、夫婦が子どものことについて情報を共有することである。母親に子どものことをすべて任せきりにすることが、一番避けなければならないことと言えよう。子どもの前では、夫婦が本音でなんでも話し合えているという雰囲気を見せることが大切である。しかも、夫婦共にお互いの尊厳を認め受け入れ、けっして自分の考えや価値観を押し付けてはならない。相手を支配しようとしないし、制御しようとしない態度が必要だ。そうすれば、子どもは親になんでも言えるようになるのである。けっして否定せず、相手のすべてを受け容れるような態度を普段から示すことで、子どもが安心して話せる家庭環境になる。

さらにもう一つ、いじめによる自殺を防ぐ大事な対処がある。それは、父親が果たす役割である。母親でもその役割を果たせる可能性はあるが、日本は男性中心社会であることから、父親が動かないと学校・教委は対応してくれないのである。母親がいくら学校・教委側と交渉しても、いじめに対する真剣な対応をしてくれるケースは少ない。今回の母子心中事件だって、父親が学校と交渉していたら、違った対応をしたに違いない。また、父親が子どもを守る為に学校と交渉して、身を挺して自分を守護してくれるんだという安心感が大切なのである。いじめをされている子どもは、自分のことを守ってくれる強い存在があるという安心感によって、自殺を思い止まると思われる。この役目は、男性しか負えないということを認識すべきである。父親、もしくは父親に代わって子どものいじめに真剣に対応してくれる存在が、自殺を防いでくれるのである。

48グループ内の競争は自己破滅を生む

NGT48メンバーの一人がファンから暴行を受けた事件では、グループ内の確執から発生したのではないかとの憶測が流れている。当初、熱烈なファンが思い余って起こした単純なストーカー的事件と見られていたが、暴行を起こした男性は他のメンバーと深い関係にあり、暴行を受けたメンバーのファンではなかったと報道されている。暴行を受けたメンバーが、グループ内のメンバーの風紀が乱れていると運営者側に密告した報復として、密告されたメンバーが暴行を指示したのではと疑われているという。48グループ内での確執や不仲による影響が、こんな形で現れるのは異例である。

この事件が起きたメンバーどうしの確執や不仲は、NGT48だけに起きているのかというと、けっしてそうではないだろう。このNGT48を運営する会社のマネジメントが不十分だったから起きたのではなく、抑えきれなかったというか、隠しきれなかったというべきだろう。他の48グループでも、不仲や確執はあるに違いない。それらが明らかになっていないだけである。情報統制やメンバーの統制が効いているから、表に出ないだけであり、メンバーどうしがお互いに快く思っていないことが実際にあるのは当たり前だ。

何故、NGT48グループだけでなく他の48グループにもそんな確執や不仲など関係性の悪化があるのかというと、メンバーどうしを競争させているからである。その競争も、中途半端なものではなくて、自分のタレント人生を賭けた過酷な争いなのである。その競争に勝ち抜いたものだけがトップスターになれるが、負けた者はタレント人生が終焉を迎えるという残酷なステージで踊らされるのである。この競争は、世間の話題になるしマスコミが取り上げるので人気を博する。しかし、メンバーたちは神経をすり減らし、心を病んでしまうぐらい自分自身を痛めつけられている。

いくら本人たちが望んでいると言っても、うら若き少女たちを競争させて人気を盛り上げ、CDやコンサートの売り上げ増を実現させて、それを金儲けの手段にするなんて人間として許せないことである。熱狂的なファンに無駄なほどの量のCDを買わせて、握手券や投票券を入手させるという実に巧妙な手口を考えた人間は、お金の為に人を不幸にさせる冷酷な人間であろう。このシステムによって、多くの若者が価値を生み出さない無駄な金をどぶに捨てたことであろう。これこそ、非生産的な行為と言えよう。しかも、この競争原理によって、多くのメンバーが非人間的な扱いをされ、不幸な思いをしている。故に賢いメンバーは、この蟻地獄のような世界が自分を駄目にすると認識し、卒業するのである。

48グループというのは、それを構成するメンバーどうしの関係性によって成り立っている。メンバーどうしに行き過ぎた競争をさせると、関係性が悪化してしまい、グループが内部崩壊するのである。会社や職場も同じである。富士通や東芝等において人事評価制度で競争をさせて、生産性を上げようとしたら、逆に会社全体の業績が低迷したのは、社員どうしや部門間の関係性が悪化したからである。人間に行き過ぎた競争をさせると、精神を病んでしまう。不登校やひきこもり、さらには休職者を増大させたのは、ひとつには無理に競い合わせる社会構造が生み出したと言えよう。学校や職場でいじめやパワハラが横行しているのは、行き過ぎた競争によって、人が本来持っている優しさや慈しみの気持ちを忘却させたからに違いない。

48グループに過酷な競争を強いることによって、メンバーどうしの確執やいじめに発展しているのは間違いない。さらには、ファンどうしの争いにまでなっている。今までもそんな事実があったにしても、明らかにされなかっただけであり、今回の暴行事件は氷山の一角に過ぎない。このままで行けば、各48グループで益々悲惨な事件が起きることだろう。そして、48グループのメンバーは過酷な競争によってメンタルを病んでしまうし、将来はやがてひきこもりやニートになるかもしれない。山口メンバーは、身体の傷はなかったが心に負った傷害は非常に大きい。傷害罪として立件しない警察官たちは、心の傷がいかに大きいのかを理解できないだけだ。これから48グループが健全に発展していくためには、競争原理を緩めて関係性を重視するような営業方針の見直しが必要であろう。

中高年のひきこもりが深刻化

45歳のひきこもり男性が、亡くなった71歳の母親と10ケ月もの長期間同居していたという事件が起きた。ひきこもりやニートの方々が高齢化している実態が明らかになりつつある。そして、これらのひきこもりやニートの方々が、固定化していると共に深刻化しているという。今までは、ひきこもりやニートというと若者だけの実態かと思われていたが、中高年のひきこもりニートが増大しているし、保護者も高齢化して亡くなってしまうケースも多くなることだろう。そうすると、社会問題としてより深刻になる。

ひきこもりやニートを完全に乗り越えたというケースは極めて少ない。深刻な症状がある程度改善されて、買い物やレジャーには行けるまでになったとしても、完全な社会復帰をして、経済的にそして精神的にも自立する例は殆どない。民間の業者がひきこもり対策の施設を運営しているが、その実績は芳しくない。NPO法人や市民活動団体が支援しているものの、その効果は限定的である。ひきこもりやニートに対して、行政側として積極的に支援することが出来ない。ひきこもりを乗り越えるのは、極めて困難なのである。

ひきこもりやニートを乗り越えるのが、どうして難しいのだろうか。その解決に対してサポートする機関が少ないし、サポート施設が実力不足だということもあろうが、根本的な解決法を見出していないからである。そもそもひきこもりやニートになる根本原因さえ掴めていないのだから当然である。ひきこもりやニートになるのは、自己責任だと思っている人が大多数である。当事者をよく知っている親でさえ、当事者の性格やパーソナリティに歪みがあるからだと思い込んでいる。これでは、乗り越える糸道さえつかめない。

さらに、ひきこもりやニートになってしまった本当の原因を、当事者さえも認識していないことが多い。いじめや不適切指導、パワハラ、何らかの挫折などのきっかけで不登校や休職に追い込まれ、それからひきこもりやニートになるケースが多いが、本当の原因は他にある。何故かというと、同じような経験をしても不登校や休職に追い込まれない人がいるからである。誰でも同じような経験をしているにも関わらず、いじめや不適切指導、パワハラ、挫折を乗り越えている人が多い。それじゃ、ひきこもりになるかどうかの分岐点はなんだろうか。

そのヒントは、家族にあるように感じる。何故なら、子どもがひきこもりやニートになるケースの殆どが家族の関係性に問題があるように思えて仕方ないのである。一見するとうまく行っているように見える親の夫婦関係と親子関係が、実質的に劣化しているケースが殆どである。劣化や低下というレベルではなくて、関係性が破綻しているケースでは子どもが例外なく問題行動を起こしている。つまり、不登校やひきこもりが起きる本当の原因は外部にあるのではなく、家庭内部の関係性にあると言える。

したがって、当事者だけをいくら支援したとしても、ひきこもりやニートは解決しないのである。ひきこもりやニートを乗り越えるには、家族療法が必要不可欠であり、その家族療法は単なる家族カウンセリングではなくて、オープンダイアローグのような最新の心理療法に基づく家族療法が必要であろう。中高年のひきこもりやニートの親が高齢化して、家族療法の対象者として不適格になる前に、適切なオープンダイアローグ療法を受けなければならない。ましてや、親が亡くなってしまったら、家族療法が不可能になる。オープンダイアローグ的家族療法が出来るうちに、中高年者のひきこもりやニートを救いたいものである。

家族療法というと、親の子育てが悪いいから子どもの問題行動が起きたんだと結論付けたいセラピストやカウンセラーが多い。したがって、家族療法を拒否する親が多い。ましてや、父親が家族療法を積極的に受けるケースは稀である。誰だって自分の非を認めたくない。しかも、他人から自分の至らなさを指摘されたら、否定したくなる。特に問題がある父親ほど家族療法を受けたがらない。子どもの問題行動の原因が自分にあると言われるのが怖いのであろう。特に、社会的地位や評価が高く、教養と学歴、そして収入が高いほどその傾向が強い。そして、ひきこもりやニートは不思議とそのような父親のケースが多い。オープンダイアローグは、けっして批判したり否定したりしない。診断もしないし、原因も追究しない。だからこそ、父親もオープンダイアローグを拒否しない。深刻化している中高年のひきこもりやニートを救うには、このオープンダイアローグしかないと思われる。

※「イスキアの郷しらかわ」では、オープンダイアローグ的家族療法を駆使して、ひきこもりやニートの社会復帰を支援しています。家族療法というと、一時間10,000円前後という高額のカウンセリング料金を請求するカウンセラーが殆どです。しかし、イスキアでは日帰りではおひとり2,500円のランチ代だけの負担で実施します。宿泊の場合は、1泊2日8,500円だけの負担で、他は一切費用がかかりません。まずは、「問い合わせフォーム」から申し込み・相談をしてください。当事者、保護者のどちらからでも受け付けます。

機能性補助製品の危険性

身体の機能を補助する食品・薬品や製品がブームになっている。機能性補助食品と銘打って大々的に宣伝活動がされている。そして、その機能性補助する商品が次から次へと開発されていて、ビジネス的にも大成功を収めているケースが少なくない。最初は、衰えてしまった身体の機能を援助する薬品や健康食品から始まったらしい。特に、サプリメント類ではそのような機能補助の性格を持つものが殆どである。メタボに効果があるとして、厚労省からお墨付きをもらった機能性補助の飲料品は大量に売れている。

このような機能性補助の飲料水やサプリメントは大人気であるが、果たしてどれだけの効果があるかというと、専門家の間でも評価が分かれている。科学的に考察しても効果がある筈だとお墨付きを与えている栄養学者もいるかと思うと、一時的には効果があったとしても長い目で見るとそんなに効果はなくなるとする専門家も存在する。効果があるなしに関わらず、このような機能性補助商品はあまり副作用もないだろうし、プラシーボの効果もあるからいいんじゃないかとする消極的な評価をする医学研究者もいる。

機能性を補助する食品・薬品だけでなく、機能性を持つ補正下着やコルセット、または機能補助するスポーツタイツなども販売されている。インフルエンザや重症感染症などを予防するとして、殺菌・除菌の製品なども続々と開発されていて、大量に売れている。このような便利な商品は、乳幼児のおもちゃや日常品にも応用されている。特に、清潔さを過剰に追及する神経質なお母さんたちに絶大な支持を受けて、人気を博している。このような機能性補助製品は、実害はないだろうと厚労省や環境省も問題視をしていない。

このような機能性を補助する薬品・食品を始めとした様々な商品は、高齢者や乳幼児などの身体機能が低い方や衰えた方には、それなりに恩恵を与えていることは間違いない。しかしながら、若くて元気な人にこのような機能性補助製品は本当に必要なのだろうか。そして、このような機能性補助製品は、使用し続けることによる副作用は、本当にないのであろうか。ましてや、乳幼児に対して何でもかんでも殺菌・除菌効果のある製品を与えることによる副作用はないのかと心配である。高齢者でも、機能性補助製品に頼り過ぎることによって、本来持つ自らの機能が低下する心配は不要なのだろうか。

ひとつ例を挙げて機能性補助製品の功罪を考察してみよう。スポーツ用品の中で、機能性タイツと呼ばれるものがある。スポーツ専門メーカーや下着専門メーカー各社が開発していて、高齢者のスポーツ愛好者やアスリートに重宝されている。自分でも使用していて、確かにハードなスポーツや登山に大きな効果がある。厳しい登山後に下山する時やゴルフの際に、膝や腰に疲れが溜まってきた時に補助してくれるので、とても助かっている。しかし、この機能性タイツは絶対に日常的に使用してはならないとされているが、その注意事項を知らずに毎日履いている高齢者がいる。これはとんでもない逆効果になり危険だ。

何故かと言うと、この機能性タイツを日常的に着用し続けると、人間の本来の身体機能を劣化・低下させてしまうからである。一時的に身体機能を補助するのは良いが、あまりにも使い過ぎると、人間本来の持っている筋肉の機能が低下する。筋肉や骨格にはある程度負荷をかけないと、成長が止まるし衰えるのである。科学的に考察すると理解できるが、それは人体システムというものが持つ本来の『自己組織化』と『オートポイエーシス』いう働きを阻害するからである。人体システムに対して、あまりにも外部からのインプットがあり過ぎると、アウトプットがなくなるし、自己組織性が失われるのである。

殺菌剤・除菌剤も過剰に使用過ぎると、同じようなことが起きる。西洋医学の薬品も長期投薬をすると同じように、人間の自己組織性を低下させて、人体システムを破綻させて自己免疫力や自己治癒力を低下させてしまう。機能性補助製品を長期間使用すると、人間が生来持っている自己免疫力や自己治癒力を低下させてしまうのである。機能性補助製品というのは、便利であるし効果もあるとされているから、どうしても利用したくなるのは理解できる。しかし、長期に使用したり安易に乱用したりすると、人間の本来持っている機能を低下させる危険性があることを認識して使用すべきである。

家庭問題を解決するキーパーソンは大黒柱

一家の大黒柱という言葉が死語になっている。今の若い人に「一家の大黒柱は誰のこと?」と聞いても答えられないだろう。そんな言葉を今時使う人もいないし、家庭に大黒柱になる人なんていないだろう。そもそも大黒柱という意味さえ知らないに違いない。それは伝統的な建築手法で建てられた民家で、土間と居室部分の境目に立てられる一番太い柱のことである。家を支える大事な柱のことで、転じて一家の主人を差すようになったという。通常は、家庭における家長のことを大黒柱と呼ぶことが多い。

戦後、GHQの指導によって家長制度が廃止になり、男女平等の考え方が浸透して、一家の大黒柱という言い方が敬遠されたと思われる。そして、実質的にも大黒柱が不在となる家庭が殆どになってしまった。家族がみんな平等で、それぞれの基本的人権が保障され、大黒柱がいなくても困らないだろうと思っている人が多い。確かに、大黒柱に頼り切ってしまい、家族が一家の大黒柱に依存し過ぎてしまい、精神的にも経済的にも自立出来なくなるというのは困る。しかし、一家の大黒柱が不在になることで起きている家庭の諸問題が、実に多いように感じられて仕方がない。

家庭における諸問題が次から次と起き続けている。家庭内における児童虐待や育児放棄、パートナー間におけるパワハラやモラハラ、ひきこもりやニートの長期化と高齢化、家庭内暴力などが多発する事態となっている。家族の中に、発達障害やメンタル疾患が急増している。そして、これらの家庭内における問題が解決されることもなく、長期化するばかりか深刻化している。離婚してしまう夫婦も多くなっているし、親子関係が断絶してしまい、家庭崩壊を招いているケースも少なくない。これらの家庭における諸問題は、家族の中に大黒柱が不在になってから、増えているように感じられる。

ここでいう大黒柱というのは、経済的な支柱になっている収入の中心者という意味ではない。精神的な拠り所という意味であり、すべての家族の守り神という役割を担う人を差す。そして、この一家の大黒柱を家族みんなが頼りにしているし、いざという時には家族の為に命を賭してスーパーマンのように大活躍する存在である。家族が困ったり悩んだりした時は、メンターの役割を果たしてくれるのが大黒柱である。通常は父親がその役割を担うことが多いが、母親だって大黒柱になれない訳ではない。母親が大黒柱として家族を守っているケースも少なくない。けれど男性よりも精神的な拠り所としては難しいと思われる。

女性が男性よりも劣っていると言いいたい訳ではない。男性のほうが女性よりも強いという意味でもない。ある意味、男性よりも精神的に頼りになる女性も少なくない。社会では男性よりも活躍している女性が非常に多い。だとしても、家庭内においては女性よりも男性のほうが圧倒的に頼りにされるケースが多い。しかし、残念なことに家庭における父親が頼りにならなくなっているのである。家庭内における諸問題が起きている家族関係において、父親の存在が希薄化しているケースが圧倒的に多いのだ。家庭内の諸問題を心配して何とか解決しようと努力している人は、殆どが母親なのである。

つまり、家庭内の諸問題が発生しているのは、名実共に一家の大黒柱と呼ばれる人物が不在の家庭なのである。ということは、家庭内の諸問題を解決するキーパーソンは一家の大黒柱ということになる。家庭における主人が、大黒柱としての本来の働きをすれば、家庭内の諸問題が解決に向かうのではないかと想像できる。精神的支柱となって、家族をひとつにまとめ上げ、関係性を親密にして、お互いの信頼関係を高めることで、問題は解決される。くれぐれも言っておきたいが、戦前のように大黒柱が絶対的権力を持つような支配構造を持つことは絶対に避けたい。あくまでも、精神的な拠り所としての役割だけだ。

一家の主人が大黒柱としての役割を立派に果たすには、まずは家族の話を傾聴することが大切だ。それも共感的態度で対話することが肝要だ。相手の気持ちに成りきって否定せず話を聞く姿勢が必要だ。そのうえで、指示することなく命令することなく、相手の自己組織化をそっと見守る姿勢が大事である。家族それぞれが自己成長して、主体性や自主性、そして責任性を発揮できるように寄り添いサポートすることが求められる。そういう意味では、大黒柱は優秀なカウンセラーでありセラピストでありたいものだ。家庭内において父親が名実共に大黒柱となって、諸問題を解決する役割を果たせるようになって欲しい。仕事も大事であるが、家族はもっと大切であると自覚してもらいたいものである。

セックスレス夫婦になる本当の訳

男どうしならセックスレス夫婦だなんてことは軽々しく言えないみたいだが、女性どうしではこんな状況にあると平気で話題にするらしい。そして、セックスレス夫婦が想像以上に多いというから驚きである。高齢者夫婦ならそれもあり得るが、若い夫婦にも夜の営みがないというケースが多いらしい。統計調査を取りにくいこともあり、公にはされていないが、周りの知っている夫婦は、殆どがセックスレスだというのだ。特に、第一子を設けてからセックスレスになってしまう夫婦が非常に多く、第二子以降出来ないケースも多い。

セックスレス夫婦の方にそうなってしまった原因を聞いてみると、驚くことに特に理由もないし、男性にとっては思い当たる原因もないというのである。そして、セックスがなくなったことで不自由感もないし、それが当たり前の夫婦生活になってしまっているというのである。どうやら男性側からも、そして女性側からも求めることがなくなり、自然とセックスレスに陥っていて、それが自然な流れとして定着しているらしい。夫婦仲が特別悪い訳ではないし、一緒に買い物したり食事もしたりするが、夜の交渉だけはないというのだ。それが何年間にも及んでいるので、いまさらどうしようとも思わないという。

これは由々しき大問題である。それでなくても少子化が社会問題になっているのに、その流れが加速してしまうではないか。ましてや、夫婦関係というのは複雑である。身も心も許し合ってこそ、お互いの信頼関係も深まろうというもの。それが精神的なつながりだけでは、夫婦関係が破綻しかねない。最近は、離婚する若い夫婦が増えているし、仮面夫婦が以外に多いというが、セックスレスがそれを後押ししているかもしれない。夫婦関係だけでなく、恋人関係でも性関係のないカップルが増えているらしいのである。

日本では、互いの愛情が感じられず、夫婦の性交渉がなくなってしまっても、そのまま夫婦関係を続行するケースが多い。しかし、フランスではカップルの愛情が冷めてしまったら、即離婚するか同居を止めるという。何故ならば、愛情がないのに一緒にいる必然性がないというのである。子どもが居ようとも、それがかすがいになって離婚を思い止まることはない。愛情のなくなった夫婦が一緒にいることによって、子育てにおける悪影響のほうが大きいと認識しているからだ。フランス人は戸籍に縛られることがないと言える。

日本において、夫婦に性交渉が途絶えてしまう本当の原因を、深層心理学的に考察してみよう。人間という生き物は、本来自己組織化する働きを持つ。つまり、生まれつき主体性・自発性・自主性を持ち、自分の生き方に対して責任性を持つのである。ところが、夫婦として籍を入れると、男性が主要な人生の選択・決定においては主導権を持ちたがる。日常の生活における衣食住の簡易なものは女性が主導権を持つが、重要な決定事項は夫が持ちたがる。そして、夜の営みも男性が主体性を持ちたがるというか、それが当たり前だという先入観念に縛られていて、女性がその選択権を持ってはいけないと思うらしい。

夫が性交渉を望めば、妻がそれに応じるのは当然で、拒否権がないと勘違いしている。本来は、男性だけにその決定権はない筈なのに、男性上位の古い価値観に縛られているが故に、性関係を持つかどうかは男性が握っていると思いがちである。そして、妻である女性はそれに従うことが、自らの自己組織性を発揮することを阻害されてしまうことから、嫌がる傾向を持つのである。そして男性は、性関係を持ちたいと思いながら、お願いしてまで性交渉を持つことを嫌う。女性に性交渉の決定権を与えるくらいなら、我慢しようと思うのではなかろうか。こうして、夫側も妻側も性関係を望まなくなってしまうと思われる。

特に、精神的にも経済的にも自立した妻は、この傾向が強い。身も心も夫に依存している夫婦関係であれば、セックスレス夫婦になる確率は低い。ところが最近の女性は、夫に依存した生き方は間違っていると気付き、すっかり自立している。故に、自らの自己組織性を発揮した生き方をしている妻は、自分を見下したような夫の要求に応えることは、アイデンテティを否定されるようで許せないのである。夫が妻の尊厳を認め受け容れ、妻の生き方を尊重することが出来れば、互いの自己組織性を進化させることが出来る。そうすれば、妻の話を傾聴し気持ちに共感できるし、性交渉を嫌がる気持ちも理解できる。妻の微妙な心の揺れ動きも感じることが可能になる。妻を自分が所有していると勘違いし、妻を支配し制御したがるような夫に、妻は身を任せようとはしないのだ。セックスレスになっている本当の原因は、夫の未熟な精神性にあると心得るべきである。